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堀之内 哲也 Horinouchi Tetsuya
プロフィール 大切にしていること
“しょどう家”時々“武将”
http://tetsu-ya.jp/
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是非失敗しまくって欲しいなぁって思います。
絶対死なないから。上手くいかないことを経験して欲しい。それが財産になると思うし。何かにチャレンジした末の失敗じゃなくてもいいと思う。だって僕も何かにチャレンジした訳じゃなくて失敗したけど、それが今に繋がっていると思うからね。
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取材記事
 
はじめに いろはで日本中、世界中を元気に、そして幸せに!!
“しょどう家”時々“武将”堀之内哲也です。 “いろは”を世界に誇れる日本の文化にすることを目指し、 “いろは歌”を面白く伝える為に“武将”の姿で全国各地で書き下ろしパフォーマンスや、【段も免許もとれないけど心を掴める書道教室】などを開催しています。また、トークライブや講演もやらせてもらってます。 2002年に地元鹿児島の路上から「あなたを見てインスピレーションで言葉を贈ります」というパフォーマンスを始め、今までに5万人以上の方に言葉を贈らせていただきました。いろはで日本中、世界中を元気に、そして幸せにします!!  
 
ステップアップ1 普通が一番・やりたいことは何?
凄く印象に残っているのは親父とお袋には小さい頃からずーっと「普通が一番だよ。みんなと一緒が一番なんだよ。」って言われてました。幼いなりに普通ってなんだろ?って考えてたけどわからないまんま育ったね。 昔から人見知りで、友達が欲しくて、「明るくなろう!」と思って結構みんなとのコミュニケーションは頑張ってた。
中学校入ってからは、好奇心が旺盛になって楽しそうな事ばっかりして遊ぶようになりました。消化器を休みの時間に噴射したり、仲のいい友達を休みの時間に鉄棒にくくりつけてそのまま放っておいて授業にいくとかね(笑)「明日から毎日登校時間は朝の6時ね。」とか言って、授業始まるまでサッカーをしたり(笑)高校生になると、結構真面目になっちゃって、野球ばっかりやってた。
実は僕、周りの人にめっちゃ流されやすいんです。最初はサッカーをしていて、転校したら今度はその学校は野球が活気があって、そんな感じで野球をしてたから、野球が好きで好きで仕方なかったということではなかったです。もちろんヒーローになれるから、甲子園にはいきたいと思っていたけど。体格もよかったし、運動神経もそんなにわるくなかったからね。

それで結局甲子園は行けなくて、高校の卒業で進路を考える時期になりました。でも、よく考えると「俺やりたいこと何もないなぁ」と思って。「夢は何?」って聞かれてもみんな職業で考えてて、自分も職業で考えると、やりたいことが何もなかった。
一応、大学から野球のお誘いもあったけど、私学の学校に行けるようなお金もなかったし、かといって国立の大学にいく頭もなかった。
それで単純に「とりあえず就職だ」と思って、「場慣れの為に市役所を受けてみよう!」って思って、それを学校の先生や両親に言うと最高によろこぶ訳なんだよね。だって今迄さんざん「普通が一番!」って言われていたから(笑)それで勉強もなんもしてないのに、合格してしまってね(笑)その時はまだ、社会に出ていなかったし、社会に出ている大人達がおすすめする職場っていうのは、「さぞすばらしい職場なんだろうなぁ」と思っていました。でも行ってみないとわからないなぁと思ったから、行く事にした。
そして行ってみて「やっぱこの職場は凄いなぁ」と思ったら続けよう、もし「あぁ違うなぁ」と思ったら辞めようと思って3年間で見て決断しようと思っていました。
 
ステップアップ2 社会へ。市役所時代 負の遺産
市役所の仕事は楽しかったし、やりがいも感じていたけど…けど、ぶっちゃけこのままこの場所にいたら人間腐ってしまうなぁと思ってしまったんだよね。
市役所って20代も30代も40代も、全年代がいて、それで「30歳になったらあの人みたいになるなぁ」「40歳になったらあの人かぁ」と市役所での自分の姿が鮮明にイメージができて、イメージが出来たときにあんな50代になりたいか?って言われたら「絶対なりたくない!!!!!」って思ってしまって、でも、「じゃあここでそういう風にはならないようにしよう!」とは思わなかった。
「環境を変えないとあんな50代になってしまう!」って思いました。自分が流されやすい人間だって分かってたから。当時はまだまだ若かったしね。それで結局3年で辞めました。しかし、それにはもう一つの理由がありました。

高校は野球ばっかりで、全く遊んでなかったし、働き始めてお金を稼ぐようになると、土日休みで、17時で仕事上がれるからね。お金があって時間もあると、遊ぶんだよね(笑)
先輩にも「お前社会人になったら酒ぐらい知っとかんといけんぞ」って言われて誘われて、連れてってもらえるんだけど、おごってもらえるのは一回目ぐらいで、みんな家族とかもいるから、「お前の方が給料は少ないかもしれんけど、自由に使えるお金はお前の方が多い!」って言われて割り勘になっていきました。そして働き始めた当初は、大卒や、専門学校卒業の同期に負けたくないと思って、「市役所で一番みんなに顔を覚えられている新人さんになろう」ということを決めてて、誰よりも元気よく挨拶をしてたから結構いろんな人に気に入られててね。いろんな部署の人から誘われて、そうやっていろんなところにいっているとお金が無くなっていくじゃん?
それで「ちょっとお金ないんですけど」って言っていたら「お金借りてきたらいいよ。みんな借りてるよ。」という軽い感じで銀行でのお金の借り方を教えてくれました。そうやってお金を借りて、飲みに行っていたら、足りなくなってきて、今度は消費者金融へ。
当時19歳だったから、19歳ってことだけ伝えるとお金を貸してくれなかったりするんだけど、市役所で働いていることを伝えたらすぐに貸してくれてね。そうやって、銀行と消費者金融からお金を借りて飲みにばっかり行っていました。

そして、気がつけば借金800万円に。800万円ぐらいになると返すのに時間かかるなぁということを感じてきて、市役所内にも借金をしている人がいて、その人が借金を返す為だけに働いているような人でした。そんな人を見ていると、「まずはこの借金を一発逆転で返済しないと、借金を返すだけの人生になってしまう!」と思って心の底から借金を返すことを誓い、市役所を辞める事を決意します。

 
ステップアップ3 市役所を離れ、借金返済へ
市役所を辞めるのはとても時間がかかりました。
辞めるまでに最低9ヶ月前までに言わないといけなくて、総務部の人に言ったらいつの間にか市役所全体に辞めることが広まってて、毎日毎日入れ代わり立ち代わりでみんなが説得しにきたりね。今思えば本当にありがたいんだけど、当時はもう辞めて借金を返すということしか頭になくてね。
そして市役所のその後は歩合制の営業の仕事へ。
ロシアの絵や、浄水器を売る営業でした。
月々最低額は払っていたけど、利子が膨らみ、借金が減らない。
それに人間の根本は変わってないから、あげくには「大丈夫これからもっと稼げるようになるから!」って言って借金返済にあてるお金を使って毎日飲みに行ってました(笑)

でも、営業だから売り上げが伸びないときもあって、そのうち月々の最低返済額も返せないようになっていきました。そして、遂に親に連絡が… 親は目が飛び出るぐらいびっくりしていて、「利子が増えて借金が返済できない」ということを伝えると、親父が消費者金融を全部まわってくれて、「これだけ利子を払っているから元金だけにしてもらえませんか?」と頭を下げてくれたんです。最高に情けない瞬間だった。でも、おかげで利子がなくなりました。
親父に「一攫千金を夢見るんじゃなく、決まった給料で一所懸命働いて返してみろ。今回は言う事を聞け。」ということで福井県の工場で働くことになりました。その時はちゃんと働いて、ちゃんとお金を稼いでいたんだけど、急に不景気になって、だんだん休みが多くなっていって、給料が減っていきました。
あまりにも給料が減って借金返済へのお金がまわらなくなってきたから、工場を辞めて、その後は大阪に2、3ヶ月いたんですが、地元鹿児島に戻って地道に返すことにしました。 鹿児島では化粧品の販売なんかをやりだして、そのうち、夜の仕事もやりだしてね。ナンバー2まで上り詰めて借金は順調に返していました。
まぁでも親父と約束した、まともな生活ではなかったけどね(笑)
 
ステップアップ4 骨髄移植
そんな生活をしていた時に、骨髄移植のお知らせが。市役所にいたときに、漫画に影響されて骨髄移植のドナー登録をしていたんだよね。変わりたい変わりたいっていっていたんだけど、これで何か変われるかな?って、思って骨髄移植を受ける事にしました。
移植を受けるときには「あまり痛くないですよ」っていわれていたんだけどね。超痛くてね(笑)骨髄移植については、いろんなエピソードがあるけど割愛します(笑)

骨髄移植を受けて何かが変わった気がして、「次会った女の子と真剣に付き合おう」って決めたの。 そうやって真面目に付き合い出したのが今の奥さん。
真剣に付き合おうと思って、「一緒に暮らそう」って言ったら、「言わないといけないことがあるんだよね。」って彼女は言って、彼女は子どもを連れてきました(笑)
「真面目に付き合おうって決めた途端これかぁ…」って思ったけど、でも男って見栄っ張りだし、「借金はたくさんあるけど、一人ぐらいならなんとかできるだろう」と思って子どもと一緒に暮らすことにしました。
 
ターニングポイント1 書との出会い
そんな彼女の実家はコンビニを経営していました。 そのコンビニは彼女が彼女の元夫と一緒に経営していたんだけど、元夫が違う人と出て行ったらしくてね。 そのまま彼女と両親が切り盛りをしていたんだけど、なかなか売り上げも上がらなくて、経営の聞きに貧していました。 真剣に付き合っている彼女が困ってるわけだから、男としては手伝わずにはいられないよね。 そしてコンビニを手伝うことに。 給料は激減しましたが、その時には借金もほとんどなくなっていましたから、給料を借金返済に当てて、彼女の給料で生活していくみたいな感じでしたね。

そんなある日、彼女と「もっと早く返したいなぁ」という話をしてたら、彼女が急に「路上で書とか買いてみたら?できるんじゃない?」という軽い感じで路上にでることになりました。

そういうことで、モノは試しで路上でポストカードなどを売っていくことになりました。 その時はまだ筆ペンでポストカードを書いてはいたかなぁ。 当時はあまり真剣にはしていなくてね。 どちらかというと、本業という感じじゃなくて、仲間作りをしている感じだったかな。 その頃には彼女の両親とも一悶着あって、彼女と一緒にコンビニも辞めていました。

辞めてからは、過去にイベントをしたりしていた時の繋がりでイベントをしたり、路上に出たりしてたんだけど、気がつけば、路上だけで生活できるようになってて、その頃には借金もなくなっていました。
 
ターニングポイント2 参勤交代―東京へ―
路上で書を書きながら生活をしていて、イベントなんかも引き続きやってたんだけど、イベントをするということにも飽きだしてて、ある大きイベントをやった後の飲み会で、「なんかそろそろもっと鹿児島以外のことしたいよなぁ。俺幕末好きだしなぁ。参勤交代かな!江戸まで歩くか!」ということをノリで言いました。

そうして、温暖化ストップゲームと称し鹿児島から東京までの1500kmを歩くことに挑戦。 彼女と子どもと3人で、東京まで歩くことになりました。 借金もなくなってたし、借金まみれの時にお金を使わない生活にも慣れてきてたからね。 東京までいく道中でいろんな方に書を書いたんだけど、とても喜んでもらえたんだよね。 だから書をもっといろんな人に書いていきたいと思ったし、鹿児島から東京の道中で日本を見て回って、日本のことが本当に好きになって、世界の人にも知ってもらいたいって思っていたし、だからもっと日本のことを知りたいなぁって感じました。

そして旅が終わった後、「文化の中心は京都だな」と思って京都に移り住み、四条大橋の袂で書を書き始めました。
 
ターニングポイント3 “いろは歌”との出会い
路上でまともにがっつりやっていたのは4〜5ヶ月ぐらいかな?
その時から、いろんなイベントに呼んでもらえるようになって、書を書くようになりました。 イベントに僕を呼んでくれた人が、「堀之内さんにパフォーマンスをしてもらったらとても喜ばれたからいいよ」と友達や知り合いに言ってくれていたらしく、そのお陰で、いろんな人に広まっていき、忙しくなっていきました。

そんなある日、京都の本屋さんに行ったときに、「鹿児島出身だったら“いろは歌”って知ってる?」って言われて、「知らないです…」と言ったら、“いろは歌”の書かれている本を紹介してくれました。
この時です。僕が“いろは歌”と出会ったのは。 最初見たときには「あぁこんな格言いろんな人が言ってるよね」みたいな感じで、そんなに「すげー」っていうようなことにはならなかったんだけど、個展をやる時に、大きい作品を展示するスペースがあって、何書こうかなぁって悩んでる時に閃いたのが”いろは歌”
実際に展示すると、個展に来てもらったお客さんが「もっと知りたい」ってことを言ってくれたんですよ。
それで、「本屋さんで紹介してもらった本で“いろは歌”を紹介しよう!」って思ったんだけど、その本を入荷して売っていこうと思ったらその本が廃盤でね。 蔵版の予定もないってことなら、「自分本作ろう!」って思って決意したんですよね。 堀之内哲也と言ったらコレ!みたいなものをつくりたかったんですよね。
かといって当時は何かするといったこともしてなかったし、実際に活動もしていませんでした。
 
ターニングポイント4 ドリームプランプレゼンテーション2009
そんなときに“いろは歌”をもっと広げる為に大きな舞台で発表しようと思って、大人が本気で夢を語る舞台、ドリームプランプレゼンテーション(以下:ドリプラ)に出場しました。 ドリプラでプレゼンテーションを作っていく過程の中で「“いろは歌”を広げたい」という想いが明確になりました。
それまで”いろは歌”を広める目的は、「堀之内哲也と言ったら“いろは歌”」という、自分のブランドみたいなものを作る為だったんだと気付きました。 でも、ドリプラを通じて、“いろは歌”をみんなに伝え、“いろは歌”に書いてあることを実践して行けば「世界は幸せになる」ということを想うことができました。 夢が志に変わった瞬間です。

そう考えていくと、今迄字を書いてきたのも、字を書くということ好きなんじゃなくて、字を書くことによって喜んでもらえることが好きだから続けられるんだと気付くことができました。 自分の好きな事を続けれて、それが仕事になるということは最高だと思います。
 
そして今 武将へ
“いろは歌”を広げる目的が明確になりましたが、ただ「真面目なことを真面目に伝えても仕方がない!」と思ったんだよね。
。 “いろは歌”は戦国時代に作られた歌。

「戦国時代と言えば、鎧!!

よし!!じゃぁ、鎧を着て武将になっちゃおう!真面目な内容の“いろは歌”をよりたくさんの人に興味を持ってもらうためには、皆がワクワクドキドキするようなことを取り入れるのが一番だ!!」と思ったの。
そうやって考えていると、どういう偶然か、僕の生まれ故郷である薩摩川内市には甲冑制作でシェア9割を誇る丸武産業(株)があったんです。
直談判でお願いしにいき、“いろは歌”を世界中に広げたいという想いを語ると、共感してくださり、ご協力いただけることになりました。
 そして鎧を貸してもらいイベントを行いました。そうしてイベントをしたあと、自分で自由に使える鎧が欲しくなっちゃったんだよね(笑) それでローンで鎧を買ってしまいました(笑) 現在は、その鎧を着て武将として全国各地に出没してます。 地元産業活性化のお手伝いや、イベントの盛り上げ、本業である書道パフォーマンスと組み合わせることで、世界でも唯一(多分)の甲冑姿の書道パフォーマンスを行ってて、そうやって行動していって、世界中に“いろは歌”を広めて、世界を幸せにしたいなぁって思ってます。
こうやって振り返ってみると、なんて安易なんだって思うけど、まぁそれもまたよし!だって、最高の奥さんとカワイイ娘達、それに最高の仲間と出会えてるからね。
 
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