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斉藤 直人 Saito Naoto
プロフィール 大切にしていること
有限会社ネクステージ 代表取締役  
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自由に生きましょう、お互いに。この人生は、二度と、繰り返さないのですからね。
それはわがままに生きろ、自分らしければそれでいい、ということじゃなく、全く逆で、何の苦労もしていないのに、一度の人生をいただいたのだから、誰かへ恩返しをする、社会に貢献する、そんな想いが人生にあるのならば、その生き方や生き様は、自由でいいと思っています。もちろん、上手く生きる必要はなく、不器用でも一度きりの人生で出会った人との出会いや先縁を大事にしたり、遭遇した事件や機会に意味を見出したりしながら生きていくこと。これこそ、一度の人生を豊かにする心構えだと、今の僕は信じています。
このように、人生は大切なもので、その人生に関わるのが、教育という仕事です。今は社員さんの教育に使命持って取り組んでいます。僕はこの仕事に、夢と誇りを持って働いています。今回、インタビューの機会をいただいた三箇くんに感謝すると共に、想いや夢、教育を語りたい、という方がいましたら、三箇くんとの縁ですから、どうぞ気軽に連絡くださいね。
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取材記事
 
はじめに 夢は、「日本夢大学を創立し、日本を、夢ある人財であふれる国にする」
僕は、岡山県で学習塾を経営しています。
従来の塾とは異なり、夢を持った人財を育てたいという想いから、受験勉強だけではなく、偉人や古典、成功法則などの授業や、夢を描く為の授業もしています。
ただ単に、点数や偏差値を上げる為、大学に行く為に勉強をする、という子供たちもいますが、僕は夢を叶える為に勉強をして欲しいと思っています。

夢を叶える為には、まずは夢を描くことが第一です。そして子供たちに夢を描いてもらう為には、まず大人が夢を描き、大人が日頃から、特に子供たちに向かって、夢を語ることが大切だと思っています。「夢を持って働くと、こんなに毎日が楽しいんだよ」って。大人が子供の見本になるということです。

だから僕は学習塾で教壇に立ちながら、「大学を創る」という夢に向かって、まず自分自身が夢に挑戦しています。子供たちの多少なりとも見本になれれば、と心がけています。 僕が描くその大学は、夢を描自由にき、仲間と一緒に挑戦し、夢を叶えていく大学、『日本夢大学』です。
今、共感してくださる方々が今、少しずつ仲間となってくださり、今では僕だけの夢ではなくなりました。仲間と共に、日本夢大学を創り、夢あふれる社会を創っていきます!この夢を語り出してから、毎日、ブログを更新しています!
http://ameblo.jp/yumedaigaku/   
 
ステップアップ1 塾で出逢った尊敬する先生、第二の夢 社長・医者
僕の子供の頃の夢は、「塾の先生」になることでした。
きっかけは、小学校4年生の時に出会った塾の先生でした。そもそも塾に行くきっかけとなったのは、今思えば恥ずかしいんですが、学校で、隣の席だった娘が好きで、その娘に尊敬されたくて、勉強しようと思ったんです(笑)。
というのも、僕自身は小学校4年生まで海外に住んでいて、日本語も上手くなく、学校の成績は最低でした。成績が悪く恥ずかしかったので、その娘に声をかけられなかったんですね(笑)。そこで親に「塾に行きたい」と伝え、友達の通っていた塾へ通うことにしました。

その時、通った塾で出逢ったのが、大河内先生という大学生の先生で、学生結婚されていて、同じく学生である奥さんと、二人で下宿のアパートで塾をされていました。この先生方は、点数が悪い時は、居残り勉強や長時間の正座など、大変厳しい先生でしたが、愛情のある方で「直人くんは、絶対にできる子だから、がんばりなさい」と、成績の悪かった僕の可能性を信じてくれていました。子供ながらにその期待が伝わり、嬉しかったんだと思います。
僕は、この大河内先生夫婦のおかげで、勉強が楽しくなりました。そして同時に、「僕も大人になったら、塾の先生になりたい!」と思うようになりました。
また、先生方は大学生でしたので、大学生になったら、大学生は塾を開く権利があるものとばかり思っていました。この、とんだ勘違いのおかげで、後に何のためらいもなく、大学生で本当に塾を起業することになりました(笑)。

僕には他にも夢がありました。小学校6年の頃には、「社長になりたい」という夢ができました。僕は神戸市出身なんですが、僕の祖父の祖父は、神戸で有名な、凄腕の貿易会社を経営していました。しかし、その後、祖父の弟が会社経営に失敗し、会社を潰してしまったんですね。保証人になっていた祖父はこのことを大変残念がっていました。僕は子供心に「いずれ僕が家を再興したい!!」という想いを抱き、「将来は、社長になる」と夢を決めました。

また、中学校2年の頃は、医者になりたいという夢を抱きました。当時、僕の父親は転勤族で、単身赴任などでなかなか会えなかったんですが、そんな僕の父親代わりをしてくれたのが、先の祖父でした。
祖父は戦争には行けなかったほど、身体が弱かったので、僕は「この世で、祖父の身体を、最後まで諦めない医者になりたい」と思うようになりました。
でも塾の先生、社長にもなりたかったので、午前中は医者、昼は経営者、夜は塾の先生をしようという夢ができました。随分、欲張りですね(笑)。
その夢を描き、医者になる為の勉強をし、医学部を受験することになりました。

「おじいちゃんの為に医者になるぞー!」という想いだけで必死に勉強をし、いよいよ志望していた医学部を受験する4日前に、祖父は亡くなってしまうんです。僕は医者になる意味をなくしました。試験にも身が入らなくなり、浪人することになりました。

今だからわかることですが、「他人に、自分の夢の動機を見いだしてしまったら、その人がいなくなったら夢がなくなってしまう。夢の動機は自分の中にないと駄目なんだ」と気付きました。
 
ステップアップ2 大学へ
浪人の後、大学に進学。いよいよ大学生になったら塾の先生になる、という夢と、経営者になる、という夢を追い始めます。
親や知り合いから借金して経営するようでは、先が見えていると思い、自費で準備し、創業しました。家賃も生活費も自分で払いました。早く自立をしたかったんです。
だから僕は仕送りは一切いらないと親に断ったのですが、母親は優しいですからね。毎月僕の口座に仕送りを振り込んでくれるんですね。そのお金には一切、手をつけなかったから、親には心配をかけるかもしれないと思い、引き出すだけは引き出して、貯めておいたんです。そのお金は、塾が軌道に乗った頃、全て親に返しました。
 
ステップアップ3 塾の開校へ
大学では、勉強の傍らアルバイトをして学費を稼ぎ、余ったお金を塾の開業の資金として貯めていました。
大学1年生でしたが、自宅のコーポにて塾を開校しました。ところが、塾を始めたには始めたんですが、全く生徒さんが来ません。
地域の情報誌や新聞などに、広告を出したんですが、男の大学生が自宅でやってる塾になんて、親は行かせないですよね(笑)。
でも当時の僕は、広告に記事を出せば人は集まって来ると思い込んでいたから「なんで人が来ないのかなぁ?」と不思議で仕方なかったんですよ。
でも、僕自身は、自分の部屋に小さな教室があるっていうだけでワクワクしてましたね!(笑)「いつかこの部屋を生徒さんでいっぱいにするんだ!」って意気込んでいました。
 
ステップアップ4 初めての生徒 ?人との繋がりの大切さ?
そういうわけで自宅には、ホワイトボードも長机も会議椅子もそろっていて、塾っぽくはなっているんですが、でも実際、意気込んでいるだけでは人は集まりません。
「どうしたら生徒さんたちは来てくれるのかなぁ」といつも考えていました。
そんなある日、家庭教師のアルバイト先で、問題を解いてもらっている間に、うっかり寝てしまったんです。当時、何件もアルバイトをしていて、疲れが溜まっていたんですね。
起きたとき、しまった、って思いました。「先生!寝てたでしょ」なんて怒られるのかな?と思ったんですが、その子は「先生、お疲ですね、毎日、大変なんですか?」って、優しく笑ってくれているんです。
僕は、その生徒さんの優しさに甘えて、塾を創りたいという夢や、努力しているのに生徒さんがなかなか来てくれないことなど、全てを話してしまいました。
すると、「塾ってどうやったら開けるの??」って聞いてくれました。
「いや、もう机も椅子も白板も揃っているし、カリキュラムもある。」
「じゃ、あとは何があれば、塾ができるの?」今でいうコーチングのようなトークですよね(笑)
僕は「生徒が2〜3人ぐらい来てくれたら塾になるんだけど」と言うと、
「じゃ私が、友達を呼んでくるよ!」って言ってくれたんです。僕はその展開にびっくりし、その夜は大泣きしました(笑)。
もう一人の家庭教師先の子にも、塾を創ることを伝えると、その子もまた「呼んでくるよ」って言ってくれて、その子達を含む5人の生徒さんが来てくれて塾はスタートしました。
結局、僕は自分自身ではいろいろとやるんだけど、最終的に人を頼れてなかったんですね。この時、僕は人との繋がりの大切さを学びました。
 
ステップアップ5 初めての社員の入社
徐々に生徒さんが増えました。そろそろ社員さんが欲しいなぁと思うようになりました。ところが当時は、社員数ゼロの会社ですからね。1年近くでしたか、募集をしていたんですが、全く応募はありませんでした。ところが新学年が始まる3月に、角君という一人の青年が、面接に来たんです。嬉しかったですね。
早速、面接をしました。その時、角君が「僕は、本当は塾の先生ではなく、学校の先生になりたかったんです」と言ったんです。僕
はこの言葉を聞いたときショックでした。逆を言うと、塾の先生にはなりたく無かったということですからね。
それで角君に、「もし、ここで働いて、いずれ学校の採用試験に受かったら学校に行くの?」と聞くと、「はい」と答えたんです。寂しいことを言うなぁ、と思ったんです。そこで突発的に、

「そうか、そんなに学校の先生になりたいのなら、僕が学校を創るから、僕についておいで」

と、思わず見栄を張って言ってしまいました(笑)。それで角君は入社して、わが社初の、社員となりました。
 
ターニングポイント1 角君からの「話」とは
ところが、僕の中では見栄を張った発言でしたから、学校を創るという夢を、僕は忘れていました。毎日仕事で忙しかったし、元々、夢と言うより、夢物語でした。

1年近く経とうとしていた頃、角君が話がある、というのです。
角君の口から出てきた言葉は、「会社を退職したいんです」「本気で学校、創るんですか?」と。

僕はショックでした。しかし角君は悪くなく、学校創りを忘れていた自分が悪いわけですから。僕は「わかった。いいよ」と強がって言うしかありませんでした。
でもこれは本心ではなくて、内心は引き止めたくて仕方なかったんですが、「待ってくれ」とは言えなかったんですね(笑)。

引き止めたくても言えない。夢を与えられなかった自分に対する後悔。角君への申し訳なさ。上司というプライドが邪魔をする(笑)。いろいろな複雑な気持ちの中から出てきた僕の言葉は、
「じゃあ角君、次の職場に行っても困らないように、これから仕事が終わった後、毎日5分、僕のおすすめの本を一緒に読んで、感想を言い合おうよ」、と。

せめて次の職場では、幸せになってほしい、って思ったんです。当時の僕は、人材育成という言葉さえ知らず、本を読むこと、これしか彼のためにできることが思い浮かばなかったんです。

仕事が終わった後の短い時間でしたが、いろんな話をしました。しかし「学校を創ろう」という話は、言えませんでした。そして、とうとう角君が会社を退職する日になりました。
その最後の日も、いつも通り本を読み終え、感想を言い合いました。
「いよいよ角君と、お別れだね」
その時、角君が言った言葉は、
「これからも斉藤さんについていきます。一緒に仕事をさせて下さい!」

退職したいと言っていたのを撤回してくれたんですから、思わぬこの言葉を聞いて嬉しかったですね。そして僕はやっと「一緒に理想の学校を創ろうね!」ってもう一度、言えたんです。角君は笑顔でうんうん、ってうなずいてくれていました。学校創りが、2人の夢になった瞬間でした。一生、忘れない感動の体験でした。上司の方なら誰でもわかってくださると思いますが、僕はこの時、心から幸せを感じていました。
 
ターニングポイント2 衝撃の出来事 夢の封印
角君が戻ってくることになり、僕は嬉しくなって「そう言えば角君、明日は誕生日だったよね?退職すると思っていたので、プレゼント用意してなかったから、明日から3日間、休暇をプレゼントするよ」と言って、角君に3日間の休みをプレゼントしました。

そして、その休みの日に、

角君は高速道路で事故に巻き込まれ、亡くなりました。

皮肉にも角君の誕生日のことでした。

最初、事故のことを総務から聞いたとき、
なんのことか、さっぱりわかりませんでした。
そしてしばらく経って、心の中で、「僕が角君に、休みをあげなかったら…」
って、自分を責めました。

前日、退職を撤回してくれただけでも、嬉しいのに、
「これからも斉藤さんについていきます!」
そう言ってくれる部下を持った、最高に幸せな体験をした翌日に、その部下は、天国という届かない場所へ連れて行ってしまった。なぜ、こんなどん底の体験をさせるの?と。

僕はこの日以来、学校創りの夢を、封印しました。


「おじいちゃんの為に医者になりたい」という夢は、おじいちゃんが亡くなったときに消えました。同じように、「角君の為に学校を創る」という夢が、角君の死と同時に、なくなりました。

やはり夢というのは、「自分の中に理由がないと続かない」ということ、今になったらよくわかりますね。
 
ターニングポイント3 夢の復活 ドリームプランプレゼンテーション大会に出場したワケ
それから10年近く、経ちました。
かつてに比べて、塾の方は社員さんも増え、生徒さんも増えていました。
そんな時、角君が生きていたときの塾の生徒さんの同窓会に呼ばれたんです。
僕は嬉しくて同窓会に参加したんですが、みんな元気が無いんです。
それで、「よし、みんなで夢を語り合おう!」ってみんなに言ったんですが、そういう空気じゃありませんでした。

そして、ある卒業生さんが言いました。

「先生もう僕ら大人ですよ。夢を語る歳じゃないですよ」

と。僕にとってこの言葉は衝撃的でした。昔は、笑顔で夢を語っていた「かつての教え子」が夢をなくしている。

「僕ら大人が夢を語っていないから、子供達が夢を語らないんだ」と思いました。

それで僕は、以前友人と一緒に見に行ったことがあるドリームプランプレゼンテーション(以下:ドリプラ)に出ようと決意し、ドリプラ2009大阪に出ることにしました。
実際、ドリプラに出ようと思ったところで、角君との夢は封印していましたから、何を語っていいのかがわからなかったんですよね。
ドリプラには、「支援会」という、プレゼンテーションを作る為にみんなで支援をして作っていく会があるんですが、その会でも何を語っていいかわかりませんでした。
そんな時、僕の親友の大橋正伸君がコーチングをしてくれて、僕の中のものを全て引き出してくれて、「学校を創る」という夢が復活したんです。塾を創業した時、家庭教師先の教え子がコーチングをしてくれたのと、全く同じシチュエーションです。夢を実現するには、夢を聴いてくれる人が欠かせないということですね。

そしてその夢は「日本夢大学を創る」という夢になりました。

大阪ドリプラの時は「日本夢大学構想」というタイトルで発表し、共感大賞(ドリプラの中では一番の賞)を頂きました。
その後、東京で開催されたドリプラ(現、ドリプラ世界大会)にも出場し、発表しました。
有難いことに、そこでも会場の皆さんの投票で共感大賞に選んで頂きました。
 
そして今 日本夢大学
『日本夢大学』は、ただ学ぶだけではなく、夢を見つけ、そして夢を実現していく大学です。この夢は、特定の誰かの為だけの夢ではありません。
もちろん角君と約束した学校でもあり、そして、卒業生さんたちが夢を見つけていく大学でもありますが、「今まで多くの方々からいただいた恩に報いたい、という感謝の念と、自分の人生への挑戦」という、「自分の中に理由」を見つけることができた夢です。

ここまで育んでくれた両親、祖父母たち、小学校の頃に出会った塾の先生、友人、創業の頃、塾の夢を応援してくれた教え子さんたち、今の教え子たち、ご父兄の方々、勉強会の仲間たち…きりがないほど、僕は応援をいただきました。みんなが応援してくれた僕だからこそ、僕ができる最大の貢献を、僕らしく実現していきます。

「自分の存在がこの世の中にある限り」僕はみんなに恩返しをしていきたい。今、無事に生きている、この社会に、僕は恩返しをしていきたいと思っています。
僕は必ず、「日本夢大学」を創り、日本を、いや、世界中を笑顔でいっぱいにします!
 
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