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片桐 秀和 Katagiri Hidekazu
プロフィール 大切にしていること
H.& S.FACTORY 代表
http://hospikun.jp/aisatu.html
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とにかく「尖れ」ってことです。
無難な道は選んで欲しくないですね。
人と同じことをしていてもやっても、自分の生きた証を残すことはできないから、人と違う事をして自分の生きた証を後世に残して欲しいですね。
そういうスタンスのまま、誰もやっていない“初”を探して欲しいですね。
そういうユニークな発想で、強い想いを持っていれば、世間一般の常識なんて知っていなくてもやっていけます。
世界初で生まれたんだから、日本初を一個ぐらいのこして欲しいなぁって思いますね!!
尖れ!
Message
Article
取材記事
 
はじめに 顧客感動プロデューサー 片桐秀和
2年ぐらい前からセミナーの講師を目指し、現在は“顧客感動プロデューサー”としてセミナーの講師をしております。
もともと雑貨店を経営していましたが、青年会議所に所属していた時に後輩から「片桐さんセミナーやったらいいんじゃないですか?」ということを言ってもらって、セミナー講師を目指し始めました。
“顧客感動プロデューサー”として、“ホスピタリティ”と”サプライズ”という切り口で、様々な業種の方にコンサルタントとセミナー開催をしております。
   
【やりがい】
今までの雑貨店の経営という仕事と違って、お客様から直接声を頂けることはとてもやりがいになっています。
「勇気を貰いました」と言って頂けて、自分が発信したものがお客様の中に行きているということが実感できるんですよね。
本当に嬉しいです。
「もうこの仕事しかないなぁ」と思っています。
   
【ホスピタリティとは?】
共感や、共に助け合うということを会社やお店、人間関係の中でも構築して行こうということです。
震災後、日本ではでホスピタリティが全国に溢れかえりました。
誰もが募金をしているし、共済、共進、共創ということをみんな実践していますよね?
日本人の誰もが、ホスピタリティの心を持っているんです。
その心をノウハウとして伝え、日本中がホスピタリティを実践できれば日本中はもっと暖かくなるんじゃないでしょうか。
 
ステップアップ1 3歳からサプライズの実践
僕の子どもの頃は、とにかくみんなの中心になりたい人でしたね。
それは幼稚園の頃からで、主役を選ぶ時は絶対立候補していたような、目立ちたがりでした。
今テーマとしているサプライズは3歳からやっていたような気がします(笑)
小さい頃から“?初”が大好きだったんですよ。
小学校初とか、幼稚園初とかね。
“?初”ってびっくりされるじゃないですか。
だから幼稚園の先生に幼稚園初を提案したりしていましたね。
それが、一回採用されるとそれからいろんな事を結構任されたりするんですよね。
一回成功したらどんどんサプライズの依頼が来ますから!
これは是非みなさんにも体験して欲しいですね。
病み付きになっちゃいますから(笑)
 
ターニングポイント1 大成功!関西初のスキーツアー企画
大学の頃にはサプライズ魂が大輪の花を咲かせましてね(笑)
仲のいい友人と(おそらく)関西初学生だけのスキーツアーを企画し始めました。イベントの対象者は女子大学生でした。
僕が20歳の時ですね。
これは将来に向けての予行演習でもあって、「自力でお金を稼ぐ」という事を将来的にやっていきたいと思っていたからなんです。
この企画、チラシが集客の命運を分けていたんですよ。
だから、当時女子大生に人気のイラストレーターがいたから、「その人にイラストを書いてもらったら参加者なんてすぐ集まるんちゃうか?」と思ってイラスト入りの広告を作るべく、広告代理店に行きました。
そしたら、イラストを一つ描いてもらうだけでもめちゃめちゃ金額が必要だったんですよ。
あえなく撃沈したんですが、「ボツになったイラストだったらくれるんちゃうか?」とひらめき、直接会いに行くことにしました。
そのイラストレーターの方の事務所に行くと、意外にすんなりお会いする事ができました。
行ったら行ったで、イラストレーターの方から「一回100万円やけど、君らなんぼ持ってるんや?」と言われました。
でも僕らはそんなお金を持っているはずがありません(笑)
「かき集めて5万円持って来ました!!」とありのままを伝えました。
すると…呆れた顔をした後に、「もうええわ。書いたるから」と言ってイラストを書いてくれたんです。
もしかしたら、5万円で人気のイラストレーターに仕事を頼む根性を買ってくれたのかもしれませんね。
先生は弟子に怒られていましたけどね(笑)
普通チラシって誰も貰ってくれないじゃないですか?
それを女子大学生に配っていたら、チラシが欲しくて奪いあってくれたんですよ(笑)
この経験から「諦めることから入ったらあかんなぁ」って思いましたね。
想いさえあれば、実現する道は何通りもあるって学びましたね。
その結果集客は大成功!!
当時はホスピタリティという言葉さえも知らなかった僕ですが、サービス精神いっぱい、おもてなしいっぱいの、至れり尽くせりなツアーになりました。
参加者の方は、その企画に大満足してくれたようで、2回目を開催する頃にはチラシを撒かなくても来てくれていましたからね(笑)
まさに大成功ですよ!
このスキーツアーは僕に、「参加者はどうやったら喜んでくれるのか?」とか「業者さんは何をしたら協力してくれるのか?」ということを教えてくれましたね。
 
ターニングポイント2 バラエティショップ ピノキオ
大学は無事に卒業することができましたが、企業に就職する気なんてさらさらありませんでした。
小さい頃から、両親が経営をしていた中華料理店で、お客様を喜ばしている両親の姿を見て育っていましたから。
「いつかは自分で商売をしたい」と思っていていました。
それに、大学での予行演習は成功しましたからね。
元々ファンシー雑貨が好きだったので、卒業後は女性向けにファンシー雑貨を販売する雑貨屋さんを始めました。
好きな事を仕事にしないと、「売れるから」というだけで商品を取り扱ってしまうと、きっとお店や商品に想いが乗らないと思ったからです。
好きな物だったら一生懸命丁寧に飾ったりもするし、無意識のうちに真剣に販売もするじゃないですか。
それに当時は、ハローキティさえも世に出ていないような時期だったので、ファンシー雑貨が売っているお店が少なかったんですよね。
競合も少なかったというのもありますけど、「もっともっと多くの人に知ってもらいたい」と思って始めました。
店の名前は“ピノキオ”。
ピノキオというのはただの木の人形が、おじいさんの愛情によって感情が芽生えるじゃないですか。
だから、「愛情を込めて売っていく気持ちを忘れないように」という想いを込めて“ピノキオ”という名前にしました。
それと、一つの業種に固まってしまうと、他のものに手を出せなくなってしまうと思ったから、正式名称を“バラエティショップ ピノキオ”と名前を付けました。
いろんなモノを取り扱って、頭を柔らかくしていきたいと思っていたから、小物やアクセサリー、その他、いろいろな物を扱いました。
そして様々なサプライズを実践していき、お客様の心をキャッチし、軌道に乗っていきました。
 
ターニングポイント3 第二期創業期 レコードのレンタル業
“ピノキオ”では10店舗まで展開をし、年商5億にまでなりました。
そのぐらいになると、もっと商売の幅を広げたいと思うようになりました。
文房具や鞄、アクセサリーだけじゃなくて、もっと違うモノも売っていきたいと思ったんですよ。
そして、ある日、お店に立ちながら「もっと若い人に人気のある商品ないかなぁ?」とぼやいたときに、あるアルバイトの若い娘が、「レコード屋さんに人たくさんおるでー」と言ってくれました。
その言葉を頼りに、レコード屋さんを見に行くと凄い事になっていましてね(笑)
思わず、「これやろう!」って自分の中で決まってしまいました。
レンタル業のノウハウを教えてもらう為に、いろんな知り合いをたぐっていくと、大学の先輩で増田さんという人がレンタル業を営んでいることを知りました。
この増田さんというのは、そこら辺のただのおっさんじゃなくて、今を時めく“TSUTAYA”の社長だったんですよ(笑)
「僕レコードのレンタルやりたいんですけど教えてくれませんか?」と挨拶に行くと、「おう!やれやれ」ということでさっそく“ピノキオ”のお店の3分の1ぐらいを使ってレコードのレンタルを始めることとなりました。
もともと、僕もスキー部に所属していて、体育会の性で「先輩の言う事は0,2秒で返事をしろ!」と教え込まれていたので、増田さんの言う事は0,2秒で返事をし、何でもお店に反映させました。
すると、これもまた大繁盛しましてね(笑)
今まで、お客様と言ったら女性しかいませんでしたから、男性も女性も来店できるお店になって「これは面白いなぁ」とレコードレンタルにのめり込んでいきました。
これが第二期創業期です。
 
ステップアップ2 “ピノキオ”でのサプライズ
“ピノキオ”ではサプライズの嵐でしたね(笑)
他の店と同じ商品を扱っていたとしても、ディスカウントに走るのではなく、いかにお客様をビックリさせるかということで勝とうとしていましたね。
例えば、バレンタインなんかは、バレンタインのイベントブースを作って、子どもが作ってきたクッキーにパティシエがチョコで名前を書くとかってね。
これも大喜びして頂けました!!
もうサプライズというのは本当に快感でしたから、他にもいろいろなサプライズイベントを企画していきました。
占いのコーナーをお店の中に作って、¥3,000以上買うと占い見放題とかね。
プラスαのちょっとした事がお客様の喜びを作るんです。
こういうサプライズイベントを企画する前に、変に会議をやってなかったのもよかったのかもしれないです。
良いアイデアがあったとしても、会議でみんなで話し合うと、「実現したら面白いかも!」というワクワクするアイデアでも、だんだん角が取れていき、無難になっていって実現はしやすいけど面白くないアイデアになってしまいますから。
やっぱり、オリジナルの尖ったまんまのアイデアが重要だと思います。
もし、駄目だったら市場が判断してくれますから。
 
ターニングポイント4 皇室までも巻き込む大サプライズ
30歳の頃には青年会議所に入って、その後は青年会議所の理事となりました。
そこでいろいろな事を学ぶうちに、「あぁ今迄自分がやってきたことは全てホスピタリティだったんか!」と気付くことができて、自分の今迄の行動に名前がつきました。
それまでホスピタリティの名前さえ知りませんでしたから(笑)
僕が青年会議所の理事の時に、障がい者の方の学校へ、サプライズを企画したことがあってね。
このサプライズを企画した時には、実現可能か不可能かも考えず、障がい者の方に「どうやったら喜んでもらえるんだろう?」という事だけに集中して企画を考えましてね。
その企画の内容をいろんな人に話すと、「それだったら協力しようか?」といって、いつの間にか協力者がたくさん集まっていました。
もう終いには、警察、皇室の人まで協力してくれましたからね(笑)
「皇室が動くのなら大きな会場がいる」ということで、小学校を貸してもらったり、「大きな駐車場もいる」ということで、大阪ガスさんにの地下の大きな駐車場を借りることができたり、地域全体が協力してくれたんです。
この時、「サプライズへの気持ちが強くて、企画が尖っていたらなんぼでも人は協力してくれるんやな!」ということを経験を通して感じましたね。
だって全部無料ですよ(笑)
 
そして今 新たな道へ セミナー講師
50歳になると、個人的なモチベーションも低下してきてしまいました。
事業というのは、永遠に売り上げの増大を目指していくものじゃないですか?
売り上げの増大を永久に目指すまま死んでいく、ということは「僕はそこ迄はできひんな」と思ったんですよね。
そんな時に、青年会議所の後輩から「せっかく商売で経験を積んだのにもっといろんな人に知識を伝えていったらいいんじゃないですか?」ということ言われました。
そして、「セミナーで自分のサプライズの表現するものいいかもしれへんなぁ」と思いセミナー講師を目指し、店舗の売却を始めました。
思い切った決断でしょ(笑)
現在はセミナー講師として活動をしていますが、僕のセミナーでもサプライズはいっぱいあります。
セミナーの資料もわかりやすく、見やすいのはもちろんのこと、楽しく、効果のある資料を作ることを心がけています。
実際サプライズをする為には、凄く時間がかかります。
でもサプライズを実践していくとそれだけお客様の笑顔に出会えるんですよね。
今までにない“初”の体験をして欲しいと思うし、びっくりして喜んでいる顔が純粋に好きなんですよ。
だからサプライズは止められないんです(笑)
僕のセミナーを通して、ホスピタリティの心を知ってもらい、また、サプライズを受ける喜びを感じてもらって、思いやりをもってサプライズを実践していく人が増えたら嬉しいですね。
 
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