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取材記事
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大橋 正伸 Ohashi Masanobu
プロフィール 大切にしていること
有限会社エムアンドエムフーズ(蕎麦屋しのぶ庵3代目)代表取締役
http://mm-foods.net/

株式会社大橋家 代表取締役
http://www.ohashike.jp/

NPO法人大阪維新会 理事長
http://www.osaka-ishin.net/
Message
僕も昔は夢がありませんでした。
でもいろんな人に出逢うなかで、いろんな事にチャレンジさせてもらい、今の自分があります。
だから、いろんな人に出逢って欲しいと思います。
いろんな事にチャレンジして欲しいと思います。
人には無限の可能性があります。
もし、自分の進む道がわからなかったら、自分のメンターを見つけてください。
そうすればあなたの進むべき道を教えてくれると思います。
大丈夫、やればできます!
挑戦する人間には心が折れる瞬間が沢山あります。
でも、それは試されているだけです!
負けないで!絶対できる!
Message
Article
取材記事
 
はじめに 人が成長できる場をつくる!
しのぶ庵をはじめとする飲食店を経営している有限会社エムアンドエムフーズの代表取締役、そして、コンサルティングオフィス株式会社大橋家の代表取締役、そして、大阪から志しある夢を発信し、日本を元気にするNPO法人大阪維新会の理事長をしています。
私の使命は、「お前に会えてよかった」と言われること。それは夢で見た出来事がきっかけで思い始めました。
あまりに鮮明で、あまりに自分の人生観にリンクしていたので、私はこの一言を言われる為に生きて行こうと思ったのです。

新しい業種、いろいろなことにチャレンジして行くのが私は好きです!いつまでもこのチャレンジの心は忘れずに突き進んでいきます!
 
ステップアップ1 大人を夢見ていた子ども時代、お客様のことを意識し始めるバーテンダー
私は曾祖父からのお店「しのぶ庵」の三代目として生まれました。
そんな私は小さい頃目立ちたがり屋でした。ちょっと調子に乗った感じで、クラスの中で視線を浴びるのが好きだったんです。
それがちょうど小学校の高学年ぐらいですかね。
中学校に入ると、新聞配達のアルバイトを始めていました。始めた理由は一つ、「自転車が欲しかったから」です(笑)
今思うと早く大人になりたかったのかなーとも思います。
経済的に不自由なことはなかったですが、自分の好きなことに誰の指図も受けずに使えるお金が欲しかったのかもしれません。
高校には進学しましたが、登校はするものの、授業中は寝ていることが殆どでした。
その理由は、アルバイトをしていたからです。
たこ焼き、お好み焼き屋さんで毎日アルバイト、だいたい深夜2時ぐらい迄はしていましたかね。
アルバイトの生活を繰り返していたので勉強はほとんどしていません。
しかし、みんなが進学するというので私は大学進学をすることにします。

進学した大学は大阪経済法科大学。
振り返ってみると、アルバイトばかりでほとんど大学へは行ってませんが(笑)
当時のアルバイト先は個人経営の小さなバーで、そこではドリンクを作ったり、お客様と話をしたり。バーテンダーとしてアルバイトをしていました。
この時のバーテンダーの経験で”お客様”を意識するようになりました。
一回来店されたお客様の顔を覚えていたら、お客様に喜んでいただけるし、そうやってたくさんの方と話をしていくうちに常連のお客様もつくようになり、バーテンダーの仕事はとても楽しいものとなりました。
 
ステップアップ2 就活の「シの字」も知らなかった就職活動
アルバイトばかりを続けていた大学生活でしたが、ついに仕事を選ばないといけない時期がきてしまいました。
就職活動の到来です。
ですが、アルバイトばかりをしていた私は就職活動の「シの字」も知りませんでした。
でも、就職が人生を決めるとも思っていませんでした。
なので自分の好きな事ができる環境で会社を選ぼうと思ったのです。
当時私はジェットスキーにはまっていたので、業種を選ぶ基準は「土日に休めるかどうかどうか」ということでした。
そうやって考えていくと、銀行か、保険か、商社か、証券会社。

消去法で考えた結果、証券会社に決まりました。
そして証券会社を2社受け、2社ともから内定を貰います。
なんと内定率100%です(笑)
どちらに行くのかを選ぶときの基準は「大阪に残れるかどうか」ということで決定します。
なんとしても大阪のチームでジェットスキーをしたかったのでね(笑)
 
ステップアップ3 社会へ!周りとのレベルの差
大阪に残れるかどうかで選んだものの、入社してからは一ヶ月間東京での研修がありました。
その研修で、証券についての基礎的な知識やビジネスマナー、様々なことを座学で学びました。
しかし、大学ではほとんど座って勉強しなかった私。
話を聞いていても到底話が分かりませんでした。
しかし、全くわからなかったからこそ、ひとついい癖がつきました。
それは、「わからなかったら何でも聞く」ということ。
証券のこと自体全くわからないというところからのスタートでしたので、全てを人から教えてもらわないと何もできないという状況でした。
かといって周りは、早稲田大学や慶応義塾大学など、高学歴な大学ばかり。
私はそこでかなりレベルの差を感じたのです。
しかし、アルバイトで得た現場での経験だけは持っていたので、「座学では駄目でも、営業に出ればなんとか成る!」と思っていました。
そして研修も終わり、大阪に帰って営業が始まります。
しかし、実際に営業へ行くと言っても鞄とパンフレットを渡されて「営業に行ってこい!」と言われるだけ。
上司からノウハウなんて教わることもなく、知識は研修で学んだことだけでした。
「営業に出ればなんとかなる!」と思っていても、実際は営業に出るということがとても怖かったです。
「怒鳴られたらどうしよう」とか、「断られたらいややなぁ」とか、できない理由を並べてしまっていました。
一日目や二日目はぶらぶらしていました。
三日目になり、「そろそろヤバい、やろう!」と意を決しました。
そしてチャイムを押しました。
『ピンポーン』
『・・・』
留守のようで安心した記憶があります(笑)
そして二件、三件とまわって行きますが、全く相手にされませんでした。
先輩にアドバイスを頼むと、「数で勝負や!」と言われ、毎日100件まわるように言われました。
しかし、負けず嫌いの僕は、やるからには一番になりたいと思ったのです。
 
ステップアップ4 人との繋がりに助けられ、“新人賞”
毎日300件営業に行こうと決意し、名刺とパンフレットを300枚もって配り終えるまで帰らないという生活を送っていました。
そうやって頑張っていたので、職場の先輩からもかわいがってもらっていました。
また、そのときの自分のスタイルとして、「何でも率先してやっていく」ということを心に思いながらやっていました。
飲み会の幹事をしたり、人が嫌がるような役割でも率先してやっていました。
そうやって人のコトを気遣いながら生活していると、仕事の場面でも自然と出てしまうのです。
ある営業先に年配の方の家で、数日の間玄関先に大きな段ボールがおいてある家がありました。
行く度に段ボールが置いてあるので聞いてみました。
すると、「腰が悪くてな。息子が週末に帰ってくる時に奥に持って入ってもらおうと思ってんねや。」と言われました。
「僕やりますよ」という言葉が自然と出てきました。
それからそのお客様とは一歩近くなったのです。
行くと毎回コーヒーを出してくれたり、おやつをくれたり、一緒に話をしたり、休ませてくれるようになったんです。
あげくには、昼寝までさせてくれるようになりました(笑)
そうやって僕の中で休息の場となっていきました。
そんな生活を切り返しているとき、そのおばあちゃんから聞かれました。
「ところで大橋君。君は何をしに来てんねや?」
仕事の話をしてしまうとこうやってゆっくりさせてもらえないと思い、「いや、仕事の話は良いんですよ。」と言いました。
すると、「大橋君。あんたお客さんおるんか?おらんやろ?そんなら私をあんたの初めてのお客にしてくれ。」と言われました。
初めての契約をとることができたのです。
それだけでは終わりませんでした。
その初めてのお客様が他のお客様を紹介してくれたのです!!
今まで1日300件行っていたというコトもあり、いろんな方が僕のことを覚えてくれていました。
そしてお客様の紹介という力が加わりその年の“新人賞”を頂いたのです。
2年、3年経つ頃には紹介が紹介を呼び、たくさんのお客様ができました。
そしていつの間にか、全社営業トップにまでなっていたのです。
 
ターニングポイント1 退職、そして世界へ
しかし、そうなってくると転勤を言い渡されました。
東京に行って本社で勉強し、それを支社で教えてくれと言われたのです。
全社を挙げての初の試みで、私はとても期待されていました。
しかし、私は辞めることを決心します。
理由は”大阪から離れたくないから”。
毎晩毎晩、いろんな人に飲みに誘われて引き止められました。
「最年少で支店長やぞ!?」「年収1000万やぞ!?」と言われました。
しかし、お金の為だけに働いていた訳ではありません。
そんな生活の中で、地位や名声を求めるということが虚しく感じたのです。
いつかは父親の事業は継承すると決めていたので、その前に自分のしたい事をおもいっきりしようと思いました。
そしてかねてから憧れていたアメリカのロサンゼルスへ行く事を決意します。
しかし、今迄の流れからわかるように英語は全く知りませんでした。
知っていた英語と言えば、「This is a pen.」くらいでしたね(笑)
何をしていたかと言えば、出会った人の所を転々として暮らしていました。
出会う人、出会う風景、全てが新鮮なモノで毎日感動していましたね。
アメリカにはアダルトスクールというものがあり、ただで英語を教えてもらえる場所があります。
アメリカで出会った友人の紹介により、アダルトスクールに入る事により英語の基本も教えて貰う事ができました。
そして英語も話せるようになったので「アルバイトをしたい」と思うようになりました。
海外にもアルバイト募集のフリーペーパーがあってそれを見ながら見つけました。
選んだアルバイト先は寿司屋。
そして寿司屋でのアルバイトが始まります。
 
ターニングポイント2 お客様から頂いた$200のチップ
飲食店での業務は慣れたものでしたが、やはり言葉の壁は厚かったですね。
だから最初は雑用ばかりでした。
その職場には私にやたら厳しい女の人がいました。
床を磨いたあとも「まだ汚い」といってもう一度掃除をさせてきたりしました。
しかし、私は素直に頑張りました。
もともと自分の根本となるものが「僕やりますよ」ということなので一所懸命頑張りました。
その結果、最初はその人の方について一緒にいじめていた人も僕の頑張りをみてくれ仲良くしてくれるようになりました。
そして徐々にですが、なんとか接客できるようになってきた時、4名のお客様が来店されます。
僕は、お客様に注文を受けにいきますが、終止笑い声をあげていました。
「なんや楽しい人達やなぁ」と思ってると、実は僕の英語が下手すぎて僕の事を馬鹿にしていたらしいのです。
しかし、僕はそれどころじゃありませんでした。
聞き取れない注文を、間違いないように、何度も何度も「Pardon?」と聞き返しました。
そうやって何度も注文を聞き返すうちに段々とあちらから質問してくるようになりました。
「どこに住んでるの?」
「日本人?」
「何歳?」
最後に
「ロサンゼルス好きか?」
私は
「I LOVE!!」
“I like”のところを本当に好きだったので”I love”と本気で言いました。
すると、
「お前良い奴!今日から友達だ!」と言われたんです!
そして80ドルぐらいしかご飯を食べてないのに、なんと200ドルもチップをくれたのです!
※普通だと12?16ドルほど
この出来事はそのお店始まって以来のことで、このとき飲食店とはお客様の感動を生み出すのに無限の可能性を秘めていると心で感じました。
 
ターニングポイント3 帰国、そしてお店での修行
その後もビザの関係で日本に帰国しながら、アメリカで生活をしていました。
そんなとき父親から「助けてほしい」という内容の手紙が届きました。
父から手紙が来たのは初めてだったので、日本に帰国し、父親の会社に入ります。
最初は大阪府庁内にある、”議員倶楽部”という喫茶店から始まりました。
一杯190円のコーヒーを販売し、10円のおつりを渡す毎日。
このままでは発展はないと、私は主体的にどんどん自分のやりたいこと、やった方がいいと思うことをお店に反映させて行きました。
そうやって新しい事をはじめ、お店がまわり始めると、次はしのぶ庵で修行することになりました。
しのぶ庵で働き始めてもなかなか教えてもらうことが出来ず、独学でそば打ちを学びました。
そうやって日々過ごすうちに基本的な業務は覚えていきました。
ある日、
「住友商事に行くぞ!」
父に言われました。
このとき大阪にユニバーサルスタジオジャパン(USJ)ができるということで、それにともなって、住友商事が飲食店や雑貨店を集めたショッピングモールのような、ユニバーサルシティウォーク(以下UCW)を作るということでした。
父はこの時の10年程前にUSJが日本にできるという話を聞いた時、「UCWに店を出したい」という夢を描いたのです。
そして家の壁に
「UCWにしのぶ庵出店」
という夢を掲げていました。
小さい頃からその張り紙を見ていた私は父の夢を応援したいと潜在意識の中で思っていたのかもしれません。
住友商事に行きますが、何回行っても相手にされませんでした。
それでも夢を叶えたい父と、父の夢を叶えたい僕は何度も何度も足を運びました。
そうやって何回も2人で足を運んでいるうちに偶然父の友人と出逢いました。
父とは高校の時の同級生だったらしく親しい間柄のようでした。
「立ち話も何やし、俺の部屋来いよ」
部屋?と思っていると
「部長室」と書かれた部屋に通されました。
そこで今迄の話をすると、今迄全く相手にされなかった事が嘘のように
「なんとかしたる!話を通しておくから」と言われました。
そして後日住友商事から電話があり、なんとUCWへお店を出せることになったんです!
しかし、、、
   
【挫折、そして…】
一ヶ月後、急に出店の話がなくなりました。
その話を聞いたとき、「人生こんなもんや」と頭の中が真っ黒になりました。
そこから、僕は仕事を投げ出しました。
「いくら頑張っても結局報われん」と次の日からパチンコなど、遊びほうけました。
ある日、そんな生活をしている僕を父が無理矢理ある場所に連れていきました。
その場所は、住友商事。
よく見ると、父の顔がいつにもなく真剣でした。
そんないつもと違う真剣な雰囲気に感化され、今迄の想いがあふれてきました。
住友商事に着き、自分たちの想いを本気でぶつけました。
我武者らにしゃべりました。
自分たちの想いを全て伝えました。
その帰り道、全てを出し切ったことで胸がすっきりして、「これはこれで仕方ない。また明日から頑張ろう」と思ったんです。
数日後、仕事をしていると一本の電話が鳴りました。
父の友人からで「ええ話があるから来い」ということでした。
住友商事に行ってみると、なんと、出店が決まったとの事でした!!
本当に嬉しくて、この日の帰り道の記憶がありません(笑)
そうして正式に出店も決まり、法人化することになりました。
「有限会社エムアンドエムフーズ」
父の名のマサユキのMと、僕の名のマサノブのM。
二人の想いが詰まった会社です。
そうやって、UCWのしのぶ庵での業務が始まりました。
 
ターニングポイント4 悩み、そして、生きる意味を見つける
当時、UCWのしのぶ庵では毎日800名近い来店者数がありました。
最初はお店のオペレーションもしっかりしていなくて、お客様を怒らせてしまうこともありました。
しのぶ庵の前で土下座をさせられたこともありあました…。
そうやって毎日忙しいお店なのにも関わらず、スタッフが次々に辞めていきました。
「自分はこんなに頑張っているのに、スタッフは辞めていく。
お客様にも罵倒されることもある。
何の為に生きているんだろう?」
と毎日真剣に悩みました。
そんなある日、妙にリアルな夢を見たんです。
葬式の風景で、棺の中には自分自身が入っています。
その葬式の様子を僕は天井の隅っこの方から眺めていたんです。
泣いてくれている人がいれば、笑っている人がいる、僕は「こんなもんか」と思いながらその風景を見ていました。
しかし、ある人が僕の棺に近づき死んでいる僕にこう言いました。
「お前に出会えてよかった!!!!!」
その言葉を聞いた瞬間、僕は夢から現実に引き戻されました!
「この言葉を言ってもらう為に生きていこう!」
この言葉を聞いた瞬間そう思いました。
僕はこの夢から自分の生きる目的を見つけることが出来たんです!
それからというもの、自分自身の考え方が180度変わりました。
思い返してみると、そのときまでの自分は「お前に出逢えてよかった」と多くの人に言ってもらえるような人じゃなかったと思います。
人間、目的がはっきりすると思考も変わってきて、今迄「自分」主体だった目線が「他人」から自分を見るとどうか?という考えに変わっていきました。
そして他人から見られているであろう、理想の自分に近づけるように、自分が欲しいものがあればまず与えることであったり、一期一会を大切に、出逢った人に本気で関わるようになりました。
その頃から本当の意味で僕の人生は輝き始めたのかもしれません!
 
そして今 事業の継承、そして夢を見つける
そして、事業も父から引き継ぎ、有限会社エムアンドエムフーズの代表取締役に就任します。
その頃から、自分の人生の目的により近づく為に、自分自身のレベルアップの為に研修などにも積極的に参加しました。
そんな時、ある勉強会で有限会社てっぺんの大嶋啓介君と出会いました。
勉強会は毎回楽しかったのですが、その勉強会でどうしても避けてきたことが一つありました。
それは、勉強会が終わったあとの打ち上げでの「夢の発表」。
当時僕には夢と呼べるものがありませんでした。
いや、正しくは人に発表するような夢が自分にはないと思っていたんですね。
夢の発表が自分の番に来そうになると、トイレに行ったり、電話がかかって来たふりをしたりなど夢を発表しないでいいように逃げていました(笑)
しかし、ある時どうしても逃げられないときがあって、何でもいいから自分の想っていることを発表したことがあったんです。
すると…
「いいね!!」
「応援するよ!!」
「一緒にやろうよ!!」
周りのみんなは僕の夢を認めてくれました。
「夢ってこんなんでええんや!!!!!」と思いました。
今まで夢とは、みんなに賞賛されるものではないといけないと思っていました。
でも、自分が心の底から想っていることが夢なんだと気づく事ができたんです。
そういう事を想ったのですが、僕には「これだ!!」と思う夢がなかったのです。
そんな時、福島正伸さんの”夢塾”という塾に通っていたとき、「僕には夢がない」ということを福島正伸さんに相談しました。
「大橋君、そんな時は人の夢を自分の夢にするといいよ!」と言われました。
だから僕は、福島さんの「誰もが夢を当たり前に語る社会を創りたい」という夢を自分の夢にしました。
そして「自分の生まれ育った大阪から夢を発信して、誰もが夢を当たり前に語る社会を目指したい」と仲間に想いを伝えました。
そうやって自分の想いを語っていっているうちに、多くの仲間が集まり、自分を応援してくれるようになりました。
そうやってできたのが、NPO法人大阪維新会です。
   
【これからの夢】
夢は始まったばかりです。
僕の夢はたくさんあります。
エムアンドエムフーズのお店を通じて多くのお客様に感動してもらうことや、NPO法人大阪維新会の活動を通じて、夢を語る社会をつくること。
様々な形の夢があります。
しかし、その全ての根本にあるのは「お前に出逢えてよかった」と言われることなんです。
その生きる上での目的を達成させる為に、これからもいろんな夢が増えていくと思います!
 
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