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北川 元気 Kitagawa Genki
プロフィール 大切にしていること
彦根市議会議員
http://ameblo.jp/genkiiiiii/
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一回きりの人生だし、自分の魂の感じることをやりたい放題やったらいいと思う。
そこに失敗と呼べるものはないと思う。
だから形に捕われず、自由にやりたいようにやったらいいと思う。
それで後悔するようならまだまだ本気じゃないということだし、遊ぶときも仕事するときも本気でやって欲しい。
鹿児島の唄に
「踊るあほうに見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ損々!」っていう言葉もあるからね。
俺は結構この言葉を大切にしているね。
世間の目なんて気にせず、派手に行こうぜ。
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取材記事
 
はじめに 世界一やりがいのある仕事 市議会議員
彦根市議会議員に最年少で当選を果たすことができました。政治的の知識やノウハウなんてものは全く持っていないけど、子ども達の未来の為に、市議会議員という役割を全うし日本を変えていきます!
また、時には、いろんなところに行って売りたい物や、買いたい物、欲しい物を紹介して売る、営業代行としても活動しています。これは売り手よし、買い手よし、世間よしで、三方よしの仕組みなんですよね!
例えば、飛び込みで営業に行ったとして、A,B,C,Dの4種類の商品を持っていたとします。
それを一通り紹介した後に「なんかいりませんか??」と言って、「ちょっとこの中にはないなぁ。」と言われたら、「ほんまですか。それだったらお客さん何を売ってるんですか?」という質問をし、魅力や社会に提供する価値など根掘り葉掘り聞いた後、その商品が気に入ったら「それめっちゃいいじゃないっすか!僕に売らしてください」って言って商品を売らしてもらうわけです。
全て成功報酬で、企業側からしたら、無料で営業マンを雇えるってことですから。もし、商品が売れなくても「売れないからもう売らない」というのではなく、商品の魅力をもっと引き出せるように商品のブランディングも一緒にしています。
あとはFMひこねの”元気のラジオショッキング”でDJをして地元の元気な人をゲストに招いて地域を元気にしていこうという企画をしていたり、イベントの企画運営や司会もしていますね。

●想い
「自分が何かをしていくことによって、人が元気になったらいい」というスタンスで行動をしています。だから、物が売れなくて困っていたら物を売ってあげようと思うし、怪我で大変な人がいたとしたらそばにいてあげようと思うし、元気のない人がいたら元気にしてあげようと思う。それがたまたま商売になっているだけであって、最終的には、人を元気にすることが目的だから、人が元気になることにたどり着かなければ仕事はしません。
誰も元気にならなかったり、誰にも喜んでもらえなかったり、ただ、お金ばかりが稼げるというようなことだと、いくら仕事のオファーがあっても受けることはできません。
僕の行動の全ては、日本を元気にする為ですから。
 
ステップアップ1 “はい!元気です!”
小学校の頃は転校が多かった僕ですが、転校の度にクラスでは人気者になっていました。
先生に「転校生の北川元気くんです!」と紹介されて、「元気です!」と言っただけで、笑いが起こったり、朝の健康観察でも「北川くん!」と呼ばれて、「はい!元気です!」と言っただけで笑いが起こりましたからね。
名前だけで目立っちゃうんですよね(笑)
でもその反面、少しでも元気なさそうな顔をしていたら「名前負けしてるんちゃう?」とも言われたりします。
僕は27年間生きてきて、世界一面白いギャグって言ってるんですが、「元気くん元気?」と名前をからかわれたりもしますからね(笑)
そういったことがあるから、常に自分自身元気でいたいし、根本的に「人を元気にしたい」という想いがあります。
 
ターニングポイント1 何の為に生まれて 何をして生きるのか
10歳の時に父が死にました。
昨日まで、生きていた人が、心臓が止まって、モノになって、そして灰になるんですよ。
日本の火葬ってエレベーターみたいな場所に入れられて、チンッって出てきたら灰になって出てくるじゃないですか。
それを10歳で見た時に、何故かわからないけど“死”に対して違和感を感じました。
そして、「“死”って何なんやろう?」とか、「なんで生きてるんやろう?」とか、「なんで死ぬんやろう?」とか、「なんの為に生まれて、何の為に死んでいくんやろう?」と常に考えるようになっていました。
そんなことを頭で考えているとき、僕の師匠の言葉が頭の中に衝撃を与えました。

「何の為に生まれて 何をして生きるのか わからないまま終わる そんなのは嫌だ!」

「何が君の幸せ?何をして喜ぶ? 答えられないなんてそんなのは嫌だ!」

とアンパンマン師匠が言ったんですよ。
その瞬間、「これやぁ!!!!その通り!!」って思って、そこからアンパンマンが僕の師匠になりました(笑)
 
ステップアップ2 17歳 東京へ
中学校の時は超ヤンキーでした(笑)
とにかく「自由に生きたい」という想いがあったから、就職するとか進学することにあまりワクワクしなくて、中学校を卒業してからは高校にも行かず、しばらくは滋賀で仕事をしたりして自由気ままに過ごしていました。
でも、どんな仕事をしてもあまり長くは続きませんでした。
「なんの為に」という仕事への意味を見いだせてなかったからからかもしれませんね。
続かないし面白くないので、17歳の時自分探しの為に、東京に3ヶ月間行きました。
東京に行ったら行ったで、ホストやキャッチをしてお金をそこそこ稼げてしまったので、当時は「人生楽勝やな」とも思っていましたね。
そんな生活をしているうちに、18歳の誕生日を迎えたので、地元滋賀に、免許を取りに帰りました。
でも教習所通うのも1ヶ月間とかかかるし、その間暇じゃないですか(笑)
免許取ったからって車が欲しかったわけでもなかったので、「車を買った」と思って¥200万ぐらいでお店を始めようと思いました。
 
ステップアップ3 ”スナックトンボ”
お店の名前は”スナックトンボ”。
綺麗なお姉ちゃんばっかりを集めて飲み屋をしたら馬鹿当たりしてしまったんですよ(笑)
そこから”スナックシャボン玉”、”ダーツバー シャボン玉”、”ベロベロバー” と、店舗展開をしていき、3年で4店舗になりました。
そこそこにお金は儲かったんです。
でも、そこでも違和感を感じていました。
お金を儲けても満足しない
お金は稼げるけど、人がついてこない。
たくさん失敗をしました。
だって、車買ったと思っての軽い感じで店作ったからね。
遊んでばかりで、経営の勉強も全くしてなかったし、そうして、「このままのやり方じゃいかん」という事を日々感じていました。
 
ターニングポイント2 高橋歩との出会い インドへ
当時からしゃべりだけは上手かったから、司会を頼まれることが多くて、そんな時、高橋歩のイベントの司会を務める事になりました。
イベントも無事に終わり、その時の打ち上げで、初めて高橋歩と話をしました。
僕は長渕剛が好きだったんですが、高橋歩も長渕が好きだったんですよ。
長渕剛の曲の中で”ガンジス”という曲があって、この曲が超好きでね。
長渕剛がインドのガンジス川で体験したときの歌。
インド人ガンジスは川のほとりで薪で人を燃やし、そしてガンジス川に流す。
それを「いつかは見に行きたいなぁ」と思っていたんですよね。
それを高橋歩と話をしている時に思い出していて、「行きたいなぁ」って思ってたら、高橋歩が「インドで学校つくるんだけど一緒に来ない?」って言ってきたんですよね(笑)
思わず「行く!!」って言ってしまって、もう行く気満々。
とは思ったものの実際は、お店もあるし行く事さえも難しかったんですよ。
でもどうしても行きたかったから、各店舗の店長に「お前にこの店あげるから!!頼むから行かせてくれ。」って言って半ば無理やりインドに行くことにしました。
 
ターニングポイント3 “俺”から”日本人”へ
アジアを一人で旅をして、インドで高橋歩と合流して、ガンジスの町に学校を作りました。
その時に自分の考え方がゴロっと変わる瞬間があって、アジア各国の若者達はみんな自分の国に誇りを持っていて、自分の国に対する歴史とかをしっかり知っていたり、考え方をしっかり持ってるんですよね。
自分の国にしっかりとした誇りを持っていて、自分の国のいい所や、かっこいい人を知ってるんですよ。
そんな人と接するうちに「俺って日本のこと全く知らんやん!」と思ってしまい、もっと日本の事を知ろうと思いました。
この時に今まで“俺”って感じの考え方から”日本人”っていう考え方になった感じかな。
「一度しかない人生やし、アンパンマン師匠が言うように、何の為に生きて、何が自分の幸せなのか?ということを追求していきたいなぁ」と思うようになり、「日本を元気にしたい」という想いが少しずつ芽生え始めていました。
 
ターニングポイント4 センキューティーチャー
中学校の担任の先生に出会ってから「先生になりたい」という夢を持っていたんですが、学もなかったから先生になれないと思っていたんですよね。
アジアを一人旅している時に、カンボジアでギター持って子ども達に音楽を教えたり、歌を教えたりしてた事があったんですが、歌を教えた後に「センキューティーチャー」って言われたんです。
その時、全身で鳥肌が立ってしまってね(笑)
「うわー先生って言われた!」って感動してしまいました。
その子は「ほんまに感謝してくれている」ということを感じられたし、心の底から感謝してくれている人とそばにいることが大好きだからね。
この時、やっぱり「仕事でも純粋に人を感動させたい」って思ったね。
例えば、50万円で作ってと言われたとしても、50万円分の商品じゃなく、「50万円でこんなに!?」って言わせられるぐらいの事をしたいよね。
それだけやって人を感動させられると思う。
だから、そこまでやることがゴールになりました。
 
ターニングポイント5 人に元気を与えることを喜びとするヒーローとなる
日本に帰ってきてからは、日本を知る為に各地を旅したり、いろんな人にどんどんどんどん人に会いにいくようになりました。
いろんな人と関わることによって モチベーションも上がるし、自分の考えは間違ってないと思えたり、いろんなことに興味を持てるようになりました。
それまでは「講演会やセミナーは鼻くそ」って思ってたけどね(笑)
夢を語るなんてちゃんちゃらおかしいと思っていたけど、大人が夢を本気で語る場である“ドリームプランプレゼンテーション滋賀”も、今や主催者の一人だし、個人的に夢を語るイベントや講演会を企画し開催したりもします。
夢を語ることの大切さを、人生を通して感じていったような感じかな。
インドに行ったこともきっかけの一つであるかもしれないけど、いろんなことを感じてきていろんなことを考えていった積み重ねだと思います。

いろんな人と出会い、いろんな経験をしていく中で、「遊び心を忘れず、笑顔を増やし、人に元気を与えることを喜びとするヒーローとなる」というポリシーが決まりました。
 
そして今
「夢はとびきりかっこいいものじゃないといけない」って想いが実は根本にあるんですよ。
夢を語る場に参加したり、イベントを開催しているけど、実は未だに夢を聞かれるのは怖いんですよね。
ただ、今確実に夢の一つとして言えるのは、「後悔しない人生を送る」と言うことです。
その為に”棺桶リスト”というリストを作っていて、死ぬ迄にやってみたいこととか、やることをリストアップしています。
まぁ達成したら達成したでまた新しく増えていくんだけどね(笑)
そして死ぬ時もしっかりとしたビジョンがあります。
病院のベッドでいろんな機械をはめられて、年老いた僕が寝ているんです。
でも、何故かベッドの脇には日本酒とお猪口があって(笑)
そして、僕の子どもが「この人は俺らに何にも残してくれんかった。大きな家も、高価な時計も何も残してくれんかった。でもこの人は日本の為、日本の為に精一杯努力して来た人なんや。」と言うんです。
そして、「あぁもうそろそろ命が尽きるかも」って時に、僕はガバッと起き上がり、日本酒の猪口を持って言います。

「ああ、全く、良い人生だった!!!!!」

そして、お猪口に入った日本酒を飲み干して死ぬ。
という、自分の最終的なビジョンは決まっています(笑)
 
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