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山村 龍和 Yamamura Ryowa
プロフィール 大切にしていること
書家
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思いたったら情熱を持って、やり続けることが大切だと思います。行動をはじめることも大切ですが、やり始めの気持ちを継続していくことはそれ以上に大切なんですよね。これは将棋の羽生名人もおっしゃっていました。一度ランチをごちそうになったことがあるのですが、普段はものすごく物腰柔らかい人格者。でも将棋への情熱はきっと誰にも負けない。だから、勝ち続けることができる。
あとは、決意して、覚悟を決めることでしょうか。僕が覚悟を決めたのは名前をもらった時です。今覚悟を決められない人はそれでいいと思います。今迄やってきたことをとことんやってみたり、何か新しいことにチャレンジしてみて下さい。やっているうちに、想いが湧いてくることがあります。

そして、できるだけ多くの人に出逢うことが大切だと思います。
学生という立場はとても良い立場なんですよ。人に会う時でも「君、勉強熱心やなぁ」で済むわけですからね、会いやすいですよね。(笑)だからといって、やみくもに会うのでなく、熱い想いをもってカッコイイと自分が思える大人に会うのがいいんです。それが一番の勉強になりますよ。

そして、たくさん喜び、感動してください。すると、人に愛されて、人に囲まれて生きられる。それって、一番の財産ですよね。
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取材記事
 
はじめに 書家 山村龍和
僕は書家として活動をしています。
関西の百貨店さんやショッピングモールなどで即興揮毫パフォーマンスやイベント、僕の書いた書などを売る作品の展示販売なども行っております。
あとは、ロゴマークの制作であったり、居酒屋の壁へのメニュー、お酒のラベルなどなど、筆文字を書いたりすることを仕事にしています。
ちょっと分かりにくいかもしれませんが(笑)

●「行動」がすべてに通じるテーマ
僕自身、なにをするにしても、一貫して自身のテーマがあります。
それは「行動」ということですね。
書家としてやっていくと決めたとき、みんなからは「そんなん無理やって」とか「無駄な時間使うだけやで」と言われました。でも、「やっていける!」というなぜかわかりませんけど、「根拠のない自信」みたいなものがあった(笑)
まず、想いがないといけませんよね。そしてその想いを明確にイメージするんです。そして、それを実現するために何が大切かを考え、実行に移す。もちろん失敗したと感じることもありますよ。それでも、諦めずに行動していく。その中で人との出逢いもありますね。
そうすると、心ある人は見ているから、「こんな仕事あるけどどや?」とか「こんなご縁があるから今度紹介したるわ」とかっていうお話を頂けることもある。
そうやって繰り返していくことが大事なんですよね。だからこそ、僕は「行動」ということが一番大切で、僕の中でテーマとして常に持っていたいんです。あきらめず、できることを、できるところまで行動しよう、っていうことですね。

●志
自分自身が何を表現したいか?それは「平和のメッセージを発信したい」ということでしょうか。僕の龍和という名前。これは、書の師匠である龍峯先生がつけてくれた雅号(ペンネームのようなもの)なんです。意味はというと、師匠の
「龍」の一文字をいただいて、「龍が大空を悠々と翔る様」と、僕の「和むような、ゆったりとした雰囲気」の「和」を合わせ、「龍が悠々と和む」様子。
そして、本名が勝平(かつひら)というんですが、勝平の「平」と龍和の「和」で「平和となるように」という。こんな意味です。これを聞いたときに、ストーンと自分の中に落とし込まれた感覚があって。「これが進みたい道の一つ!」と思い、書を通して人を感動させ、和を産み出す、やがては、平和のメッセージを発信する。これは、一生かけて挑むテーマ、つまりライフワークであり、山村龍和の「志」ですね。
 
ステップアップ1 「農業をする!」志高き父
僕は奈良県の生駒市で生まれました。父親は内装職人としてクロスやカーペットの張り替えなどをしていました。自宅は事務所兼用だったので、家には常に父の仕事道具やらなにやらが置かれていました。そんな環境で育ったのですが、ちょうど20年くらい前、僕が幼稚園くらいのときですね、父は急に「農業をやる!」とかいってね。仲間と農業で会社を造りました。(笑)まあ、父は主に生産担当だったようで。もともと父の実家は農家をしていて、父の若い頃、祖父は農薬で身体を悪くしたのが原因で亡くなったとかで、父には相当ショックだったのでしょう。「食の安全を守らないといけない」という想いから、「無農薬野菜」だけを作り始めたんです。今でこそ有機野菜、オーガニックとか無農薬っていうのは認知度もブランドもあるわけでしょ、当時はまだ風向きがキツイ。それこそ、「宗教?」といわれる時代ですよ。(笑)しかも子ども4人もいるんですよ。相当な覚悟があったのか、信念があったのか、ただのアホかでないとできないですよ。(笑)ぼくは、父は正しかったと思っていますし、すごいと思っています。父の背中が今の僕に影響している部分はかなりあると思いますね。

でも、小さい頃は自分の親の仕事が自営業というのがなんとなく嫌だったんですよね。
他の家と比べて「それが普通じゃない」と思ってしまっていたんだと思います。
サラリーマンの家庭のように、洋服箪笥を開けるとバーっとネクタイやらスーツやらが沢山あるみたいなことに憧れていましたし。(笑)ドラマや漫画に出てくる風景を見て、それが普通の家庭だと思っていたのかも。
 
ステップアップ2 龍峯先生との出会い
7歳の頃に親に書道教室をすすめられ、書道を始めました。字とか絵を書くのはけっこう好きだったんです。一番仲が良く、一緒に遊んでいた友だちが通っている書道教室を親が知ったみたいで。友だちもいるならまあ、通いやすいですからね。
その書道教室の先生が龍峯先生だったんですよ。
僕が最初に書道教室に行った時、先生はノートに漢字を書き僕にこう言いました。
「この文字を使って物語を書いてこい。」
それで、僕はその文字を使って物語を書いていくんですね(笑)先生はその物語を読みながら添削をしてくれます。添削が入るから、一応習字にはなっているのですが、他の生徒とは全然違うことをやっているんですよ。みんな決まったお手本を書いている。僕だけ違うんです(笑)まあ、楽しかったので、1年間くらいですかねぇ、物語作りをやり続けました。


【筆に持ち替える日】
そして1年が経った頃、「もう物語作りはいいだろう」ということで、みんなと同じことに取り組みました。毛筆も習い始めました。しかし、当時の僕は筆で文字を書くということが怖かったんです。今考えればなんで恐れていたのかわからないんですが、筆で文字を書くということが怖くてね。ある日、金網で遊んでいる時に落ちてしまって、右手を骨折してしまったんです。それを口実に(笑)しばらく休むことにしました。

腕が治っても「まだ治ってない!」というような事を言って書道教室を休んでいたんです。ある時急に、ふと思い出したように「あ、行ってみよう」と思ってね。書道教室に足を運んだんですよ。そして筆で字を書いてみたらこれが意外に楽しい(笑) 「あっ、これ結構おもろいな」と思ってそこから筆で書くのが好きになっていったんです。先生も「思ったよりうまく書くなあ」なんて言ったりね(笑)いやあ、でも本当になんだったんでしょうね(笑)毛筆独特の「トメ・ハネ」が気持ち悪くて怖かったのかも。(笑)
 
ステップアップ3 書芸コース
高校は「書芸コース」といって書道専門で学べる学科がある高校に進学しました。
当時は、書道で食べていくとかそんなことはもう全く考えていなくて、書道が好きということでその学校を選びましたね。面接の時に偉そうに、「書道で日本一になる」って言ったことを覚えています(笑)
書道教室って、だいたいみんな高校に進学する前までには辞めてしまうんですよ。
でも高校くらいから「習字」から「書」になるんです。
習字と書は違います。芸術としての「書」、習字というのは整った字を書くための習い事。芸術書に踏み込む前に、ほとんどの人が辞めてしまうんですよね。実にもったいない話だと思います。

それでまあ、書家の道に進むとか、当時は全く考えていませんでした。入学してすぐ、高校の書道の先生に、「お前せっかく書芸コースに来たんやし、高校生活書道一本でいけばええやろ。書道部入れ」と言われましたが、「嫌や。ださいし。」と思っていました。だってサッカー部とかのほうが明らかにモテるじゃないっすか(笑)
1年ぐらいはいろいろ他のことやったり、生徒会とかもやって。2年生になると生徒会長とかもやってたんですが、結局、書道部にも入って、副部長なんかしたり、夏休みは天理や吉野山で部の合宿があって。缶詰になってずーっと書いてましたね。そんなこともあり、賞をもらったこともあったり、嬉しかったですね。うちの書道部はレベルが高いほうだったと思います。先輩も同級生も後輩も、みんな上手かった。僕は下手っぴでしたが(笑)


【表現への違和感】
書道部はぶっちゃけてしまうと、実際地味で面白くなかったんですよね。
「道」のつくものはだいたいそうかもしれませんが、全く褒められないですしね。
褒められないし、認められないし、貶されてばかりですからね。(笑)そんな高校生活のある時に、書道の授業で「竹を書く」という課題が出ました。そのときに僕は、竹の動きや竹の姿形をイメージして「竹」と書いたら怒られたんですよね。「こんなん書道ちゃう!もっと書きぶりなんかで表現するのか書道や!」って言われて。そこで僕は「それは確かにそうかもしれんけど、ええんちゃうん?もっと新しい別の表現の仕方があってもええんちゃうん?」と違和感を感じたのを今でも覚えています。
 
ステップアップ4 道を考え始めた大学時代
大学は三重大学の教育学部に入学しました。書道の方は、そこ迄本気でやることはなく、暇があるときに書いていましたね。大学進学を決めるときに、担任であり、書道の先生とこんな話をしていました。

先生「山村、お前書道の道に進んだらええんちゃうか?大学の書道専攻があるぞ。」
僕「いやいや、でも書道じゃ食えないじゃないすか!?どうしたらいいんすか?世界変えたいんですよ。」
先生「いやいや、世界変えたいって言ってもなあ。とりあえず大学は行け。必ず行ってよかったと思える日が来るから。人生のうちの4年間や」

そんな会話をしていて、それで「とりあえずは教育の道にいく」ということになりました。
と言っても教育学や教育心理、国語と小学校教諭の免許をとって、書道とはほとんど関わりなかった(笑)当時は書道一辺倒になるのに抵抗していましたね(笑)だって、このまま大学で書道やっても、ただ高校の延長なだけだとね。でも、書道はやっぱり好きだったんですよ。何かしたいなぁとは思っていたんです。展覧会を見に行ったり、家でちょこちょこっと書いたりね

 
ターニングポイント1 世界を変えたい!起業
大学の時は、どこかの企業や学校で勤めている自分っていうのがどうしても想像できなくて。教員採用試験もあと一人のところで落ちたり、就職活動もかなり遅くて(笑)それでも、いくつか内定はいただいたのですが、結局お断りして、「自分達で何かやればいいか」って思って。友達3人と起業したんですよ。僕たちの行動を世間に示したいと思ってたんですよね。単にお金儲けをするのではなく、社会問題を事業を通して解決する、いわゆるソーシャル・ベンチャー、社会起業です。だから、NPOで起業をしたんです。当然、すぐにその活動だけで生活していけるわけもなく、自分でお金を稼いで生活していく為に、ストリートで自分の書いた書を販売することにしました。
 
ターニングポイント2 ストリートで見た現実
2008年の年明け頃に初めてストリートに出ました。
その時の事は今でも覚えていますが、行き交う人は誰も止まってくれないんですよね(笑)
最初はこんな感じで、「売れんなぁ」と頭を抱えていたのを思い出します。そして、試行錯誤しながら、「あなたを見て書く」という即興書道になっていきました。そうすると人がだんだん集まってきました。そんな感じでストリートパフォーマンスをやってきたんですけど、ストリートで出逢う人にはいろんな人がいて、かなりディープな世界があったんですよ。
ホームレスのおっちゃんとか、薬物中毒の少年少女とか、いろんな人を見てきて、こうやっていろんな人に出逢っていく中で「俺、世界を変えたいって言ってきたけど、自分の住んでる日本はええのか!?」って思うようになりました。
ちょっと自分の街に出て足下を見ただけで、こんな世界があるんだって初めて気付いたんですね。「世界を変えたい」って言葉だけを聞いたらかっこいいかもしれない。
体験したことのない戦争、飢餓。たしかにそれも重要なこと。でもそれは自分が知らない、見たことない。だからそれは自分の「世界」ではなく、あいまいな「セカイ」であり「シャカイ」。でも、足元の街の現状を自分の目で見て、感じて気付き、落とし込んだ。小さくてもそっちのほうが「世界」であり「社会」ですよね。これが大事なんですよ。
 
ターニングポイント3 ストリートでの出会い、世界平和のメッセージ
そうやってストリートパフォーマンスをしているときに、一つの出逢いがあって。ニューヨークでいろんなアートのプロジェクトをしている日本人のディレクターさんに出逢いました。その人は本当にリミットがない人で、「これしたい!」って言ったら「もうやってる」みたいな、自分が思ったことを実現させてきた人なんですね。それでそのディレクターさんに、「君、面白いからニューヨーク来なよ」というようなことを言われて。「これは行くしかない」と思って、ニューヨークに行くことにしました。初めての海外でしたし、すべてが新鮮でしたね。ニューヨークの人に書を書いたり、いろんな交流をさせてもらいました。ハリウット女優、チベット亡命政府関係者など、さまざまな著名人やアーティストと書を通して繋がった。そのことで、また自分の「世界」が広がった。徐々にですが、山村龍和の目指す「平和のメッセージ」とはなにか、をはっきりさせていく経験ですよね。
 
そして今 これからの展望、使命
山村龍和にとって、ストリートは入り口の1つなんですよ。だからもちろん、ストリートパフォーマンスを10年20年したいわけではありません。平和のメッセージを多くの人に伝えたい。そこまでの1つの目標として、大河ドラマの題字を書きたいですし、個展もやります。2011年は書を書き始めてからちょうど20年経つので、現時点の集大成として2011年の夏か秋かに「山村勝平から山村龍和へ」というようなテーマでやろうと思っています。
例えば書家の大先生と呼ばれるような人が人前で書を書いて「すごい!」ってみんな言う。確かに芸術的にも技術的にも凄いものを書いていらっしゃる。では、その作品をほしいというかどうか?その書で人を感動させて、世の中を動かしているのか!?
今迄の書って表現や技術的には多分もうけっこう出尽くしているのかもしれません。これは書に限った事ではないのですが、あらゆるものは20世紀に出尽くしたとか言われていますよね。本当にそうなんでしょうか。そうではない、という立ち位置でもいいですし、それ以外にも今後の切り口の一つとして、いかに魂で書けるか、ということが、21世紀以降の表現だと思うんですよね。偉い先生に喧嘩うるって話になるかもしれません。それは、否定的な目で見ているからではない。リスペクトなんです。先人へのリスペクトがあるからこそ、新しいものを創っていくことが後の人間の使命だと思っています。

今こうやっていろいろ言ってますけど、結局、自分の根本には「行動」っていうことがあるんです。批評する立場にいるんじゃなく、常に批評される側でありたい。常に表現者でいたいし、表現者であるべきだと思っています。

 
そして今 アートとデザイン
僕は、自分の想いを表現することはアート、誰かを表現してあげることはデザインなんだ、と現状考えています。そこで、まあ、お金の話になるんですが、自分を表現して、それをお金にするっていうのは相当難しい。だれかを喜ばせるものを創ることが、お金を産み出す近道であるわけなんですけどね。だから、今は自分自身のアートの世界も磨きつつ、デザイン的なことを通して、かかわる人に喜んでもらいながら成長していきたいと思っています。


●好きな本はありますか?
オススメは、松下幸之助「夢を育てる」、
鍵山秀三郎「掃除道」、
新渡戸稲造「武士道」、岡
倉天心「茶の本」、
山本周五郎「日本婦道記」、
伊藤左千夫「野菊の墓」、
夏目漱石「こころ」、
サミュエル・スマイルズ「自助論」、
デール・カーネギー「人を動かす」、などなど。
純文学からエッセイ、スピリチュアル、哲学や経営までジャンル関係なく様々な本を読みます。そこそこ本が好きなんですよ。(笑)松下幸之助さんのエピソードで、ある若者にこう言ったそうです。「僕の今迄の経験や、資産を全てあげよう。でも、その変わり君の若さを下さい。」その話を本で読んだときは「若さはそれだけで価値があるんだ」と思いました。若さというのは本当にお金では買えない武器なんですよ。
 
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