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薄井 修司 Usui Shuji
プロフィール 大切にしていること
株式会社ウエルネスサプライ 代表取締役
http://www.wellness-supply.co.jp/index.html
Message
20代ってのは物事をわかってない年頃だと思います。
でもわかってなくてもどれだけ一生懸命やっているかということが大切です。
そして、人間関係をどれだけ積み上げていけるのかということ。
20代には20代の時に解決できるようなものしか来ないから。
30代になったら30代の失敗がくる。
でも、20代に20代で来る失敗を経験していなかったら30代で20代で経験すべき失敗が来るんです。
年相応の失敗だと、許される。
でも、40歳になっても20歳で来る失敗をしているようだったら信用もなくなるよね。
逆に、そうやって失敗を経験している人は信用できる人になります。
そうやって、いろんな人に助けてもらいながら失敗を解決していくことによって、人間関係が残っていくんです。
僕が、新入社員に言う言葉があります。
「君が1ヶ月かかるようなこの仕事を、僕は5分で仕事ができる。
それは僕にはたくさんの繋がりがあって人間関係があるからできるんやで。」
僕もいろんな失敗をしてきました。
だから、失敗をして失敗をして、たくさんの人と信頼できる人間関係をつくることが大切なんです。
それには、まず目の前にあることを全力でやるということが大切。
目の前のことを全力でやれ!っちゅうことやね。
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取材記事
 
はじめに 施設を輝かせ、関わる全ての人をも輝かせる!
ウエルネスサプライは、プール・スポーツ・温浴・アミューズメントの各施設を運営管理する“オペレーションのプロフェッショナル集団”です。 施設にとって「安全」、「サービス」、「収益」の確保と追及が、基本かつ重要な要素であり、私たちウエルネスサプライは、この3つの要素を満たす独自のオペレーションのノウハウを確立しています。 しかも、どの施設にも同じ運営管理の手法を取り入れるのではなく、それぞれの施設に最もふさわしいと考えられるオーダーメイドの発想と感覚でとらえ、その施設の持つ魅力と可能性をふくらませます。 “施設を最大限に輝かせる”それがウエルネスサプライだけがお届けできるオーダーメイドの運営です。
いろいろな施設がありますが、その中で新たな運営を作り出していくことがやりがいです。
我々が運営を作り出すことによって全ての施設が輝かせて、そこで働く全ての人が輝くような取り組みをしていきます。
 
ステップアップ1 ボランティアサークル
大学のとき、僕はボランティアサークルの会長をしていました。
子ども達をキャンプに連れて行ったりするボランティアサークルで、この時の活動が楽しかったし、面白いと思ったから僕は運営の仕事をしていきたいと思うようになったんです。
そして就職活動の時に、様々な会社を見て、同じような仕事ができるところを見つけました。
 
ステップアップ2 合格!でも不採用
そして、関西テレビの子会社に面接を受けました。
面接を受けて最後まで残ったのにも関わらず「合格なんやけど、今年は新卒の採用ないねん」と言われてしまいました。
その時「実質不採用やんか」と心の中でつっこみましたが、「何を言っても採用の枠がないものはない仕方ない」と考え、流し台のメーカー会社に就職しました。
その会社の支店長さんは30歳で、会社始まって以来の若手支店長で、「うちはメーカーかやから当然自社の商品売るんやけど、商品を売ろうと思うな。人間を売っていくしかないんや。どれだけ人間を信用してもらうしかないんやで」と僕に教えてくれました。
結果から言うと、その言葉のお陰で一年間だけでしたが、売り上げ目標も達成できましたし、「飯食ってけ」と声をかけてくれるような関係もでき、かけがえのない経験になったと思います。
 
ステップアップ3 難攻不落な材木問屋
一番印象に残っているのは、和歌山にある材木問屋で、誰が行ってもなかなか営業を取れないという難攻不落な営業先がありました。
大きな材木問屋なので、材木が山のように積んであります。その合間を縫って進んでいくと、奥まった所に時代劇に出てくるような帳場がありました。
そこにおばあさんが座っててて、システムキッチンのカタログを持っていくと「そこ置いといて」と言われて、そこから全くしゃべってもらえませんでした。
それから何回も足を運びましたが、行っても相手にはされず、隅っこの方で材木を大工さんに届けにいく準備をしている営業の方をただぼーっと見ているだけでした。
そんなある時、いつもの午前中ではなく、夕方に行くことがありました。
いつものように「相手にされんし暇やなー」ってぼーと材木屋さんの仕事を見てたら、材木屋さんは次の日の準備をし始めました。フォークリフトを使ってベニヤ板を積むのに一人でリフトに乗ったり降りたりしているんです。
その時に「効率の悪いやり方をしてるなー」とふと思いました。
「こんなん僕ちょっと手伝ったら簡単にできるやん」と思ってそしてちょっと手伝ったんです。


【人が困っていることをすれば、仕事になる】
そして次の日から毎日10分間だけ手伝いに行きました。
そんな生活を続けていて、一週間が経ったころ、10分間手伝った後に声をかけられました。

材木屋さん: 「薄井はん、明日空いてるか?」
僕:「ずっと空いてます!!」
材木屋さん:「明日6時に来い!」
僕:「わかりました!」

次の日材木を配送するトラックに乗せられて、和歌山の山奥の中に連れて行かれました。
そして材木屋さんは、僕のパンフレットをとって大工さんに「今回これでいったってや」(キッチンの機材はこいつの会社の製品で契約してやってくれ)と言ったんです。
すると大工さんは「わかった」と言い、そんな感じで他の所にも連れていかれ、その日のうちに契約をたくさんとれたんです!

帰りの車内で
僕:「なんでウチは今迄売れなかったんですかね?」
材木屋さん:「あのな薄井はん、材木屋ちゅうのは大工と一番仲がいいから、材木屋が頼んだら入れてくれるねん。でもな、材木屋には材木屋の範疇があんねや。流し台っちゅうのは、やっぱり水道屋に入れさせたらなあかんねや。水道屋さんが工事してくるからな。」
僕:「すみません。無理させまして。」

そして材木問屋に帰ったら、口さえも聞いてくれなかったあの帳場のおばあちゃんが、
「薄井はん、晩ご飯食べて帰り。」と言ってくれました。
昔からの材木屋なので、一日の終わりには従業員全員でご飯を食べるんです。
そこで一緒に晩ご飯食べさせて貰いました。
帰って店長に報告したら、「お前あそこで注文とってきたんか!?」とびっくりされて、店長は大急ぎで材木屋さんに挨拶に行きました。この時の経験で「人が困っていることをすれば、仕事になる」ということがわかり始めました。


【おばあさんがくれたポロシャツ】
そして一年間が経った頃、新卒の時に「採用枠がない」といって不採用だった関西テレビの子会社から「空きが出たから採用できる」という通知を受けました。
一年経って営業の仕事にも慣れてきた頃でしたが、やっぱり自分のやりたいことへの気持ちは変わっていませんでした。
そして流し台メーカーを退社し、関西テレビの子会社に就職します。

そして辞めるときに材木問屋に挨拶に行くと、餞別にということで、あの最初は口をきいてくれなかったおばあさんにプレゼントを貰いました。
それは、ポロシャツでした。
でもそのポロシャツは、ウチの親父が着ても地味なぐらい地味なポロシャツだったんです。
でも、それはそのおばあさんが自分で選んでくれたってこと。
そのポロシャツを見た時に、思わず嬉しくて涙を流していました。
最初は全然口を聞いてくれなかったのに…

一年間だけでしたが、その時には営業の「いろは」も教わったし、働くということの意味なんかも教わりました。
そして、同時にたくさんの方々との繋がりができ、いろんな人に助けられているということを知る事ができたんです。

 
ステップアップ4 自分のやりたいこと
関西テレビの子会社で働いていて当時はいろんなことをさせられました。
いろんな部署を担当させられて、転勤もさせられました。
入社の時ちょうど一緒に入った同期がいて、その同期は一つのスイミングスクールことをだけを任せられて、二年経った頃には、副支配人並の頼られる存在にいるのに、僕はといえば、雑用や転勤ばかりで、歴然な差があると思って、「貧乏くじ引かされたー」と思っていました。

広告や編集長もやらされたし、ビルの防火管理者もやらされたし、様々な事をやらされて、いろんな所を転々としていて数年が経った頃。
急に上司に呼び出され「薄井、お前やれ」と言われて、フィットネスクラブの開業に携わることになりました。
その運営に携わる時、今迄してきた経験が全て活かされました。
結局、今迄やってきた仕事っていうのは、”やらされていた”じゃなく、”させてもらっていた”ということだったんですね。

【フィットネスクラブ開業】
フィットネスクラブに携わるとき、周辺のフィットネスクラブのロッカールームの幅も測ったり、いろんなフィットネスクラブにノウハウを聞きに行ったりしました。
何故なら僕は開業に関しては素人だから。
何も知らなかったからとにかく聞くことから始めたんです。

今までフィットネスクラブのフロントなどもやってきて、僕は当時フィットネスクラブのあり方に疑問を持っていました。
フィットネスクラブはインストラクターが建物内の配置などを全部設計をしていたんですが、エアロビクスやフィットネスをする場所が一番大きいんですよね。
でもロッカールームやシャワールームは狭い。
僕は今迄フロントしかしてこなかったので、トレーニングをせずシャワーだけを浴びる人もいるんですよね。

でもせっかくシャワーして奇麗になったのに、隣に汗ビッシャリの人がいたら嫌じゃないですか?
「じゃあロッカールームを関西で一番大きくしてやろう!」と思いました。
そしてフィットネスクラブから帰るとクタクタでもうお風呂にははいれません。でも、シャワーだけだと物足りないんです。ですから、シャワーのかわりに湯船と洗い場を設置しもっとゆっくりできるようにしました。

それと、辞めていくお客さんもたくさん見てきたんです。
いつも「なんでやろ?」と考えていて、ある時、「インストラクターはプロやけど、お客さんはプロじゃない」と気付きました。
仕事でへろへろになった後にフィットネスクラブに来てもなかなか頑張れないじゃないですか。
インストラクターは、「週3回来ないと効果ありません」というようなことを言うんですよね。

それって全くお客さま目線にたてていないと思いました。
無理せず、軽く歩いてサウナとお風呂だけの日だけでもいいんです。
トレーニングの指導はできませんが、、フロントでずっとお客様を見てきたお客様目線のプロとしてフィットネスクラブを作ろうと思ったんです。

その結果、とても辺鄙な場所で、他者が全く手を出さないような立地の悪い場所にも関わらず大成功したんです。
 
ターニングポイント1 起業を決意
フィットネスクラブの開業に成功し、そこからは他のスポーツクラブや、プールの運営なども任されました。
そんな時、神戸六甲アイランドに新規オープン予定だった、世界一のウォータースライダー”AOIA”のオペレーションを手がけてくれという話がきました。
しかし、自社とクライアントさんとの系列会社の関係から上司には「その仕事はやるな」と言われました。

しかし、すでにクライアントさんからそのプロジェクトをする為に社員さんを派遣してもらっていて、その人達の人生を変えてしまっていたんです。
だからこそ僕はここで投げ出すことはできない「みんなもここで頑張る覚悟ができている。今更元の仕事に帰れない!」と思いました。

そして、「僕はこの仕事に懸けてますから。会社を辞めさせてください。」と上司に言い、僕は退社し、起業を決意します。
そして1993年6月、ウエルネスサプライが誕生しました。
もともと僕は社長になりたくて社長になったわけじゃないんです。
仕事に惚れてその仕事をしたいから自分でやらないといけなくなっただけです。
「自分がやらないと」という使命感があったんだと思います。
周りからはアホやって言われましたけどね(笑)
 
ターニングポイント2 世界最大のウォータースライダー”AOIA”
そして神戸の六甲アイランドの世界一ウォータースライダー”AOIA”の運営を手がけます。
アルバイト500人を登録し、一日200人のシフト体制、それを社員3人での運営していく。
当時は携帯電話もなく、運営の方法に悩みました。
結果、4月の新入生のサークル勧誘をしている時期に阪神間の大学を全てまわることにしました。
そこで新入生を勧誘をしている人を見つけて、「君のとこの部長のところに連れてって」と言って部長のところまで行き、「このプールがこの夏オープンやけど、君の所のサークルで1ヶ月間完全にこの部署をまわしてくれたら個人のアルバイト代と、合宿費用として20万円寄付しよう。」という交渉をしたんです。
気の知れた仲間同士で働けて、合宿費の足しにもなる。そして自分自身のアルバイト代にもなるといったことで交渉はうまくいきました。
連絡網も持っているし、チームワークもしっかりしているし、誰かが休んだとしても補充要員はいる。
そしてそのチームを率いるリーダーは、みんなから選出された、良いリーダーです。

これを思いついたのは、僕が学生時代にボランティアしているサークルでバイトを探しにいった時のことを思い出したからです。。
フェリーセンターのアルバイトがありました。
当時僕はそのサークルの代表をしていたので、そのフェリーセンターでのアルバイトシフトの管理を自分でしたんです。
そうするとフェリーセンターの方がとても喜んでくれて「来シーズンも頼むな!!」と言ってくれたのを思い出しました。
僕らからすれば、サークルのメンバーが今どんなことをしているのかってことはだいたい把握できますが、会社の人からは連絡の取りようがなかったのです。その時に「こういうことは喜ばれるんや」と思いました。

しかし、アイデアは出たものの全く人が集まるという勝算はなかったので、とにかく行動を起こし、大学をまわりました。


【世界一に対する”思い入れ”】
結果、500人近い人数が集まり、14チームできました。
そのチームリーダーにはオープンする前からマニュアル作りやルール、研修をどうやっていくのかということで集まってもらい、ミーティングにミーティングを重ね、一から仕組みを作っていきました。
「社会においてこんな責任ある仕事は簡単に任せられることはない」と言い「遊びじゃなく、仕事として責任をもってやって欲しい」とチームの事や仕組み作りはチームリーダーに任せました。
遂にオープンとなりましたが、ミーティングを重ね、仕組みを作り込んでいたので早い時期にクレームにも対応できるようになりました。
世界一のウォータースライダーの運営は大成功でした。

そしてそれを見たデベロッパーの本社の方が、「誰がこんな仕組み考えたんや!?」とびっくりしていたそうです。
そしてその方とお会いした時、「成功の秘訣は何ですか?」という質問をされました。
僕はとっさに「世界一に対する”思い入れ”です。」と答えました。

僕は、この仕事をするときに、世界一のプールということで僕は世界一のオペレーションをしようと決めていたんです。
ただ単に社員の人数を少なくして管理していたということじゃないんです。
インカムでみんなが情報共有できる仕組みを作りましたし、そして監視員は監視だけに専念さる為に、「監視員には声をかけないでください」とう表示を貼ったり、本気の安全研修もやりました。
これは全て世界一の運営をするという”思い入れ”です。
 
ターニングポイント3 順風満帆
そして成功し評価され、今度はグループ会社の本社の方から仕事の依頼がありました。
しかし、僕は一度断ったんです。
それは「そのグループ会社の子会社の方から仕事を頂いているから、そこをないがしろにはできない」ということを伝えました。
すると「その会社はうちの100%子会社やから全部一緒の会社なんです。こちらで整理するから是非手伝って欲しい。」ということで
直接本社から仕事を頂くこととなりました。
そのもらった仕事はというと、遊園地敷地内運河の船の運航でした。
遊園地内の水路でのクルーズ船の運行と、その他2つの仕事があって、個々に違う会社に運営を委託していたらコストがかかって仕方がなかったらしいんです。
そこで、「あのプールの運営を考えてくれた薄井さんに相談したらいいんやないか?」ということで僕に話があったようでした。
そして、3つの仕事を1つの仕事の人員でまとめてできる運営の仕方を作り、この問題を解決しました。やはり、人が困っていることが仕事になったのです。
そうやって、遊園地内の乗り物や、インラインスケート場の運営、園内のイベント、ホテルフィットネスのコンサルタントと様々な運営を手がけていくといろいろな会社の方が噂を聞きつけ、売り上げも増えていき、順風満帆で「社員旅行も海外いくぞー!」と乗りに乗っていた時、

阪神淡路大震災が神戸の街を襲いました。


【1からのスタート】
六甲アイランドの”AOIA”、世界一のウォータースライダー、船の運航をしていたテーマパーク、その他の仕事、全てを失いました。
”AOIA”の運営を手がけ、会社を始めたときから1年半後の出来事でした。
街が倒壊しこの時、どうしようもなくなり「今まで売り上げをあげてきた金を配分して解散しようか。」と、今まで一緒に頑張ってきた仲間に提案しました。

すると、
社員:「行けるとこまでいきましょう」
僕: 「行けるとこまでいっても、最後には何も給料払えんくなるかもしれへんねやで」
社員: 「いいです。社長早く仕事探してきてください。」

と言ってくれました。
ここで僕の覚悟は決まりました。
僕は仕事を探す為に全国に営業。
そしてその間、みんなには土方の仕事をしてもらいました。
それでもやってやっていこうという想いがあったのは、「絶対我々の運営に対する考え方は必要とされる」という自信があったからです。

ピンチの時期でしたが、今その当時を振り返ると、この出来事はチャンスだったのかもしれません。
神戸に留まらず、全国へ出られた事によって多くの人との出会いがあったからです。
 
ターニングポイント4 新しい出会い
仕事を探している時に大きな出会いが一つありました。
この出会いがあったからこそ、僕たちは再度復活できたのかもしれません。
出会ったというよりは、待ち伏せていたというべきでしょうか(笑)

全く仕事がなく、途方にくれていたとき、ある大きな遊園地の会社の社長が、行きつけのスナックがあるということを聞き、そこでその社長を待ち伏せてました。
すると社長が入ってきて、挨拶をし、「仕事ください」といったんです。
すると4時間も説教くらいましてね(笑)
「俺はこの仕事を30年やってるんや。なんでお前に仕事をやらなあかんねん!」と言われました。

ごもっともです(笑)
その社長の話は聞いているだけで学びになりました。
でも、みんな屋根上って危ない仕事をして僕が仕事を取ってくるのを待ってるのに、手ぶらじゃ帰れないじゃないですか。
だから今までしてきた仕事の話や、今までの苦労や想いを全て話しました。
何よりもお客さん目線で運営を組み立ていくことや自らサンタクロースになってお客様に喜んでいただくことを伝えました。
すると「そうか、お前も苦労したんやなぁ。一回会社に遊びに来い。」と言われました。
そして会社に足を運んでみると、社長はいなかったんですけど、
「薄井さんにどこにお手伝いをしてもらいなさい」と部下の方に伝えていたらしく、仕事をを頂けたんです。


【もう一つの出会い】
地震後の出会いはもう一つありました。これも不思議な縁でした。
ある人の紹介で、屋外スポーツアミューズメント施設の営業に行きました。様々な種類のスポーツ施設運営の提案です。

結果は・・・。ダメでした。あきらめかけたとき。

先方の方から、「ここの駐車場で、インラインスケート場の運営はどう?考えてたんやけど貸しシューズとか、色々いるしそんなん持ってる会社あまりないし。」と言われたんです。
幸い”AOIA”でインラインスケート場の運営をやっており用具を持っていたんです。
僕は「インラインスケート場の運営もやっていましたし、レンタルシューズも持っています。是非我々にやらせて下さい。」と答えました。
そして、震災から半年後のオープンとなったこの仕事を任せて頂ける事になったんです。

この時のご縁で、現在のスポーツ部門の様々な発展へと繋がっていったのです。
 
そして今 ”ウエルネスサプライらしさ”
そして、神戸の震災から一年後には、震災以前の売り上げを超していました。
それまでたくさんの人と接してきましたが、クライアントさんとの意識の違いや考え方の血合いがありました。
それでも私たちは”ウエルネスサプライらしさ”を信じて日々運営を続けてきました。
すると徐々にお客様が増え、売り上げが伸びていきました。
売り上げという数字も大切ですが、施設に来て下さったお客様に満足してもらうことが最優先だという考え方を理解してもらえたと感じる出来事でした。
それからは受託施設が増加し、今となっては26箇所以上の施設が全国各地に広がっています。


【ウエルネスサプライに入ってよかった】
私が社長として思うこと。
それは社員のみんなに、「ウエルネスサプライに入ってよかった」って言ってもらうこと。
それが社員のみんなに伝わっていて、みんなはみんなで、「ウエルネスサプライをもっと知らしめたい」ということを言ってくれています。
そうやってみんなで情熱もって頑張って、施設を輝かせて、最終的には家族みたいな関係になりたいと思っています。

阪神淡路大震災で命を失わなかったということ・・・。
生かされていて、何でもチャレンジできるということ・・・。
全て、意味があると感じています。
だからこそ、これからもチャレンジし続けます。

●そんな薄井さんを一言で表すと?
えべっさんかな?(笑)
子どものときから西宮恵比寿神社の境内のそばで育ったからね。
年に一回だけえべっさんに足を運ぶような人より商売繁盛の気概はあると思いますよ(笑)

●好きな本はありますか?
「粗にして野だが卑ではない」。
上品じゃなくて質素でもいい。
身だしなみがきっちりしていても人間として卑しかったら駄目だよと言っています。
 
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