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中谷 安志 Nakatani Anji
プロフィール 大切にしていること
有限会社あんじ 代表取締役
あんじグループ 代表
http://www.anji-gr.com/
 
Message
 今の若い方々は知識も情報も持ってる。
というか知ってることが多すぎるんだと思います。
勉強してるのは何か失敗したときに、起き上がる手段として必要なんだと思います。
この世の中はやってわかることしかないから、「自分に自信をもって、行動力」というのを意識してほしいです。
 出来るか出来ないかを決めるのは自分だから、もっともっと挑戦して欲しい。
生意気で頭打って、成長していけばいい。
だから 「まずは動け!!!!」 ですかね。
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Article
取材記事
 
はじめに 飲食業界の地位向上、社会貢献を目指す  あんじグループ
 京都で居酒屋3.5店舗と、バルが1.5店舗(1つのお店で2つの業態をしているから半分)それとお寿司屋1店舗を大阪で経営しています。
 お店を通じて、飲食業界の地位向上や社会貢献を目指しています。
そんな格好いい事を言っていますが、実際は自分のやりたい事をやってただけなんです。
しかし、お店がだんだん増えて行く時、従業員の人生を背負っている事にも気付きました。
そこからです。やりがいが、「自分のやりたいことをする」という事から「お店を通して、人が成長する」ということになっていったのは。
 お店を通して、お客様に喜んで頂くのは勿論のことですが、従業員にも成長していって欲しいと思っています。
そして、従業員一丸となり、伝統的食文化の継承と人を良くする食文化の創造を目指します!
 
ステップアップ1 教師に反発していた学生時代
 中学校、高校は割と成績はよく、部活は陸上をしていて、運動も、勉強もちゃんとできるというのが周囲からの評価でした。中学校の時は結構やんちゃな子とつるんでいましたね。彼らに勉強を教えたり、一緒に遊んだり、友人同士の関係でした。
 そもそも彼らは勉強できないというだけですごく特別扱いされているのが気に入らなかったんです。
彼らは彼らなりにいいところがあるのに。
だから大人への反感みたいな感じが当時は強かったです。逆に勉強ができたら何も言ってこないので勉強だけはしっかりして、教師には反発していましたね(笑)
 当時のメンバーで集まる同窓会で「勉強もできるけど、誰にこびる訳ではなく、誰とでも仲良くしゃべる」と言われました。
思い返せば人のいいとこしか見てない、そんな習慣があったのかもしれないです。
 
ターニングポイント1 初めての挫折
 大学受験の時に初めて大きな挫折をしました。大学の受験に失敗したんです。
自分でやれば授業を受けなくても点数がとれていたんで、「受かるだろう」とずっと思っていたし、周りからも「中谷は受かるだろう」とも言われていたんですが…落ちて頭を打ちました。
 それまで「僕はサラリーマンにしかならないんだろう」と思っていたんですが、「どうせなら自分のしたいことをしよう!」と思い小さい頃から思い描いていた、食べ物屋さんをする夢を本気で追っていこうと思いました。
とはいうものの、大学に落ちると落込みますよね?(笑)
 そんな落込んでいる時に、友達のお父さんがご飯に連れてってくれました。そこで、繊維大学の女の子と知り合ったんです。
繊維大学の女の子が何を言うのかと思えば、「今日ジャガイモ植えたんですよ」 と言ったんです。
 繊維大学のイメージっていったら布とか糸の勉強ばかりをしているイメージだったんですが、話を聞いていたら全然違っていて、今まで自分が一つの視点からしか見てなかった、一つの常識しか見てなかったことに気がつきました。
 それだったら、無理に料理の専門学校なんか通う必要はないと思いました。
もっといろんな世界を見て視野を広げたかったし、普通に大学行ってから食べもの屋さんをしようと思って、京都府立大学の栄養学部に入学しました。
 大学生活はアルバイトばっかりしていましたねー。フランス料理店、運送業、家庭教師と掛け持ちしていて、そして遊んでばかりいました。とてつもない借金をつくったこともありますし(笑)
 
ステップアップ2 飲食店がやりたい!不動産会社へ
 無事大学4年間も過ぎ、僕が大学を卒業する頃はバブルの絶頂期で、社会的に人手が足りないのでどこにも就職できるような世の中でした。
そんな中「将来の為に繋がるよう、小さい会社に入ろう」と思いました。
小さかったら自分でやることは多いですからね。
その分成長できると思ったんです。
 そして、その結果、不動産会社に就職しました。何故不動産会社なのかと思うかもしれませんがね(笑)
当時「お金と土地を持っているのは不動産会社だ」と思ったんですよ。
でも不動産会社に入ったからって不動産の運用をする気はありませんでした。
だからこそ、「会社訪問のとき「飲食店をやらせてください!」と言ったんです。
かなり変わった申し出ですよね(笑) しかし、それでも採用してくれました(笑)
 入社後、バブルで何をやってもお金を設けれるという風潮だったお陰で、希望通り飲食店の立ち上げに携わる事ができました。
50人ぐらいのスタッフを採用し大きな店の立ち上げなどを行いましたが、お店の運営側の仕事ばかりでお客さんとも接しない。
自分の夢とのギャップを感じました。次第に自分が歯車のひとつに過ぎないことに物足りなさを感じるようになったんです。

 そこで3年後に退社。飲食関係の大阪のプロデュース会社から誘われ、3年間飲食店のオープンを企画するコンサルティングの勉強をしたんです。そこで色々な店をプロデュースし、4件のお店を立ち上げました。そんな時、自社物件でなかなか誰も手を付けない物件と出逢います。
 
ステップアップ3 自ら飲食店をプロデュース
 「この物件だったら和風の居酒屋をやったらいける!」と思いました。
一から自分で全部やりました。生活もそこでするくらいの勢いでした、来てくれた美容師さんのところに散髪しにいったり、なんでもやりました。
「誰に教わることなく独立したい」って思いを持っていましたね。
 朝5時に起きて市場に魚を買いにいき、昼の営業が終わったら周辺の会社に営業周りをして、夜のお店の営業が終わってから深夜12時過ぎに帰るのが毎日でした。
給料もそんなによくなかったんですけど、でもやめようとも思わなかったんです。
 損得考えんと、必死にやるという時期だったと思っています。あの我武者羅な時期があったからこそ、今があると思っています。同じ年の何倍も経験をつませてもらったし、しんどい事はあったけど、楽しかったですね。
 その頃からも人をつかう側だったんで何でも思いつくことはやっていきました。そのお店は350万円が損益分岐点だったんですが、やめる頃には売上が1000万を越えていました。
 
ターニングポイント1 職を転々、「これじゃあかん!」
居酒屋は成功していたんですが、やっぱり夢を叶えたいと思って実家のある京都に帰ったんです。
そして、独立する資金を調達する為に、家にある貯金すべてをかけて、嫁に「倍にしてくる!」といって博打に行きました。
案の定倍になる事もなく、すっからかんで、からっぽになりましたけどね…(笑)
本当に痛い思い出です。
やっぱり運にばかり頼っていると駄目ですね。

だから自分のお店をする為に京都に帰ってきたけど、お金もなんもない状況で、京都に帰って来た意味があまりありませんでした。
しかし、無職のままでもいられない。
そこで義父に頼んでマンションがあちこちに建つ時期だったんでシステムキッチンをつける仕事をしてました。
歩合制だったんで8時に出勤→17時までしてその後、深夜の牛乳配達も始めました。
システムキッチンの方は時代の流れから仕事がなくなてきてその後2年半で辞めることになりました。
 
その後トラックの運ちゃんを始めたんです。それで佐川だけは嫁さんが嫌だんたんですけど生活費を稼ぐ為どこでもいいと入ったら実は佐川の下請け、しかも給料安いっていう所でした。でも5年ぐらいしてまいたね。

 ただその頃はいつか夢を叶えるみたいな発言するだけで満足してたんです。でもそれじゃいけないと思って、子どもが小学校に入学するときにお店出すって決めたんです。
 その決断が大きなスタートでした。
運送会社を辞めて、魚屋さんに3ヶ月間バイトに行って仕入れの勉強をとことんしました。
その後に「ももじろう」さんに行って、「2年で独立します。それでもよかったらつかって下さい」といったんです。

結果から言うと、その2年間の末独立しました。
運送会社で学んだ物流を活かし、海に面さない京都でも美味しい魚が食べられる居酒屋、「居酒屋あんじ」をオープンさせました。
きっかけの一つですが、親父が亡くなったときに、「親は死ぬ」という当たり前のことを初めて意識し始めました。
「自分が子どもをおいて死ぬこともある」
そう考えた時、子どもにしてほしいことはなんだろうって考えて、
「自分が残したものを子どもが使って大きくなって欲しい」って思ったんです。
そして母親に家を担保にさせてもらって、お店を出そうって決意しました。
「親に認めて貰いたい」
そういう覚悟というか意地がありました。
「トラックの運ちゃんで終わりかい!?」って自分に常に投げかけて、絶対に店を出すと決意したんです。
 
ターニングポイント2 独立、様々なエピソード
 トラックの運ちゃんを必死に頑張ってなんとか開業できることに。
お金さえあれば開業のノウハウはあるのでこっちのもんです。
 
 そうやって自分自身で独立をしていくと、様々なことがありました。
やっぱりいいお店にしたいので、ある時部下のスタッフに面談をして悪い所を指摘すると「一瞬しか見てないのになんで言われないといけない!?」って言われたこともあるんです。
でも一瞬見たらわかるんですよ。そういう時に具体的な指示をしてあげることを意識していました。
 
 自分が責任者なんだという意識一つでこうも変わるのかと思いましたね。
今の一つのエピソードを紹介します。
かわいいアルバイトの女の子がいたんですけど、なんか愛想が悪くて、受けもよくなかったんです。そこで、「注文を終わるまで聞いて、終わったなと思ったら目を見て最後ににこっとして」と言ったんです。そしたらすごく雰囲気も変わって人気のアルバイトの子になりましたね。
 アルバイトから社員になりたい子で、「おもんないし辞めます」、「自分の考えた事がやりたい」って言ってきた子もいたんです。その時も「店をさせたるから3年間一緒にやろ。1年目は魚のことお酒のことをおぼえる。2年目は店長のことを見て店長の仕事覚えよ。3年目には一緒にどんな店にしたいか?考えようや!」
そしたら次の日からすっごいキラキラした顔で働き始めたんです。彼は、去年の6月から店長でがんばってくれています。
 スタッフへの指示は、具体的な方向を見せることを意識してました。
 
そして今 夢・未来
今後のビジョンとして大きく分けて2つあります。

●5業態の会を作りたい
繁盛店を作る為にやっているんじゃないんです。
繁盛店を通じて考え方を変えたいと思っています。
私たちは、繁盛している店の中で、アルバイトの子も社員も考えながら成長していって、そして彼らの店も将来繁盛して欲しいんです。
そして、5業態のトップの5人で飲んで、また互いに成長していきたいんです。

●飲食業界を変えたい
業界のレベルアップですね。実際に働くとなるとどうしてもこの業界は評判が悪い。でもレベルアップすれば、いい人が入ってくるし、これからもっともっと働く環境もよくなる。一番人の喜びを創れる場所だと思っているので、これからも創っていきたいです

振り返ってみると、独立は36ですし、今もう45歳です。人と比べるとずいぶん遅いです。でも人と比べるものじゃないですし、今の自分は、人にできない経験をしたからこそ、出来たんだと思っています。
私たちの人生は駅伝みたいなものだと思うんです。次の世代に受け継いでいかないといけないって。私も3号店をしたときに現場から離れて、外に出るようになったんです。そしたら俺ってもっと大きく考えてもいいなぁって思ったんです。いろんな人と出会えたからこうやって考えられるようになりました。
 
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