情熱人.jp 自分の行き方探せます!
Jounetsunin Mobile
http://jounetsunin.jp/mb
 
日本の未来を担う若者が夢や希望を持って働ける社会にしたい。これが情熱プロジェクトの想いです。
情熱人SNS   情熱人を見る   取材記事 
ID Pass
検索する
取材記事
メッセージを送る
松浦 陽司 Matsuura Yoji
プロフィール 大切にしていること
株式会社パッケージ松浦 代表取締役 身近の人とのご縁に感謝
Message
時間を有効に使ってほしいと思います。
僕は大学の時には時間を浪費してしまっていましたから。
同じ漫画を何度も読み返してみたり、同じビデオを何度もみたり(笑)
時間を浪費するのってもったいないと思います。何も残らない訳ですから。
「大学の時にもっと本を読んでいたらどれだけ今成長できただろうに」と思ってしまいますからね。
時間を浪費して欲しくないです。

自分の成長する為に時間を使ってほしいと思います。
成長って人に逢うか本を読むしかないと思うんですよ。
だから本を読むか、素晴らしい人に逢いにいって欲しいと思います!
Message
Article
取材記事
 
はじめに パッケージを通じて徳島を活性化する
私は株式会社パッケージ松浦(以下パッケージ松浦)の代表取締役社長として会社を経営しています。

「パッケージ」の持つ意味は2つあります。
一つ目は、「包む、包装資材」という意味、
二つ目は、「まとめる、組み合わせる」という意味です。

この双方を取り入れた、「パッケージというツールを使って人と人との組み合わせていきたい」、
そして「心に響くパッケージ業」を目指しいきたいという念いがあります。

弊社では、製品を造る工場は持っていません。
工場を持たないファブレス経営だからこそ、どんな商品でも紹介・対応できます。
クライアントさんの要望に合わせて、商品を提案できるのです。

パッケージって軽視されがちですが、商品販売において非常に大切なんです。
ちょっと考えてみてください。
みなさんが、商品を買う時、どんな視点で購入を決めますか?
この「デザインがきれい」とか「この筆文字が信頼できそう」とかで決める場合が多いのではないかと思います。
中身の味なんて知らないのに、パッケージだけで意思決定しますよね。
もちろん売り場や商品にもよりますが、中身よりパッケージが重要な場合も多いのです。
それだけ、パッケージが重要と言うことになります。

ところが現在、徳島ではデザインは軽視されがちです。
パッケージの企画やデザインにこだわる会社が少ないと感じています。
だから、これからは、デザイナーやコピーライターとコラボレーションするなど、企画から提案していきたいと思っています。
お客さんの商品開発やブランド構築の企画・コンセプトから関わり、共に売上を上げ、共に成長していきたい。
そして、パッケージを通じて、徳島を活性化していきたいと思っています。

私のモットーは「ご縁をご円に」です。
沢山の人と人の「ご縁」を繋げていって大きな一つの繋がり、
大きな丸い「円」にしていきたい、そう思っています。
 
ステップアップ1 さらし者にされた少年時代
私はパッケージ松浦の二代目として生まれました。
小学生低学年の頃の私は身体が弱く、協調性もなかったので、みんなとなかなか馴染めない子どもでした。
そんな私を小学校の先生は、悪いモデルとして隣接していた保育園に連れていって「この子はアホの子じゃ!みんなはこんな子みたいにならんようにしなさい」とさらし者にしたのです。
私はその時、「ぼくには生きる価値はない」と感じました。
(今だったら児童虐待でかなり問題になるでしょうね)

そんな私が、今こうして生きていられるのも、父母のお陰です。
それを聞いた父と母はすぐさま学校に駆けつけ、先生に抗議してくれました。
そして、「お前を立派な人間にする!」と私に言ってくれたのです。その時、私は「ぼくは生きててもいいんだ」と、とてもうれしくなりました。
その時の父と母の言葉が私の人生の支えになっています。
 
ステップアップ2 サッカーで変わりだした自分
私の通った小学校にはサッカー部がありませんでした。
でもサッカーがしたくて、両親を困らせました。
何度もお願いする私を見て、「これは本気だ」と感じてくれたのか、父と母は隣の学校のPTA会長にかけ合ってくれました。
そして、私を隣の学校のサッカー部に私を入れてくれたのです。

サッカーをすることで、体も強くなり、「自分だけ隣の学校のサッカー部に通っている」という変な優越感もあって、変な自信がついていきました。
なにより父と母、そして祖父などが毎日毎日、送り迎えをしてくれました。
このことが「私は愛されている」という自己肯定につながりました。
この私への関わりも、人生の支えになっています。

大学は広島大学の理学部にいきました。
大学1年生の時に結構勉強頑張ったら単位を沢山取れたんですよね。
「これは結構簡単に大学卒業できるぞ!」と勝手に思い込んでしまってそこからは遊んでばかりでした(笑)
そのため、4年生の時には卒業できるかすれすれのラインになってしまっていましたが、テスト前の情報種集、レポートの丸写しなど、いろいろな人から力を借りてなんとか乗り切りました。
当時からご縁を活かしていたのかもしれませんね(笑)

いよいよ卒業も迫り社会に出る訳ですが、「卒業と同時に親の会社に入ろうかな?」とも思っていたんです。
でも、そのまま入ってもちょっと格好悪いなと思いまして、修行も兼ねて包装資材のメーカーに就職をすることにしました。
会社を継ぐということはそんなに意識はしていなかったんですが、「いつかは帰って継ぐことになるんだろうな」とは思っていました。
 
ステップアップ3 社会人に必要なスキルを学んだ5年間、そして親からの電話
包装資材のメーカーは、本社は徳島なんですけど、広島勤務で、営業先は山口という妙な勤務体系でした。
5年間山口県に営業させてもらってて、社会人としての基礎や、営業の手法、目標の立て方など営業マンとしてはかなり育てて頂きました。

そして27歳のとき、実家から電話がありました。
「社風が非常に悪いので帰ってきて欲しい。そして会社を改革して欲しい。」
本来なら30歳まで勤める約束でしたが、3年早く、徳島に戻ることになりました。
 
ターニングポイント1 社内の雰囲気を変える為の自分、しかし…
社内の雰囲気が悪い原因は、当時の営業部長にありました。
挨拶もしないし、社内では偉そうで、社員さんをけなしたり、協力業者さんに怒鳴ったりするような人でした。
売り上げは取ってくるけど、人間関係は壊すといったような人で、
その人のお陰で社内の雰囲気は最悪でした。

これは私の出番だと思いました。 私が社風を良くするために、改革しないといけないと思いました。
でも、実際は何も変わりませんでした。何もできませんでした。

社内の雰囲気を変える提案しても、ことごとく営業部長に潰される。
両親に相談しても「波風が立って、部長が辞めたらいけないのでやめておけ」といったような状況で「何もさせてもらえない」状況でした。

結局その時の会社の判断基準って「損得」だったんですよね。
「数字(売上)取ってくるなら泳がしておけ」という判断です。
人生で本当に大切な人間関係や、善悪という判断ではなく、損得で判断していたんですよ。
実際、当時は営業部長が社内の売り上げの半分を持っている状況でした。

社内提案もできないので、せめて自分でできることをやろうと、まずは配達を一生懸命にやろうと思いました。
しかし、「配達社員さんの仕事がなくなるのでやめろ」と指示がありました。
それならば営業に回ろうと思いました。
しかし、営業に回っても、営業部長が私の悪口をいっていたようで、「何しに来たん?来んでええよ。」と言われ事務所の中にさえ入れてもらない事もしばしばでした。
そのうち、お客さんを訪問すること自体、恐くなりました。

配達もできない。営業もできなくなってしまった。
会社にいたら「あいつ何をしてるんだ?」と冷たい目で見られる。

会社の中にも外にも居場所がなく、…仕方なく荷物も持たずに外に出て、無駄な時間を過ごし、 社内の人と会わないように出来るだけ遅く帰って、「いかに存在を消すか」という毎日を過ごしていました。
この時の私は生ける屍でしたね。
 
ターニングポイント2 変わり始めたきっかけ、ある研修
入社して一年ぐらいはそんな日々を送っていたんですけど、 二年目にサカクリーニングの坂雅弘社長の紹介で日本創造教育研究所(以下日創研)のSAという研修を受けました。
その研修で「行動することの大切さ」を教わったり、そして何より「いかに人と関わるか」ということを学ばせてもらいました。
また、LT(現在はPSV)という研修では、人間関係の課題が出されました。
多くの人とコミュニケーションをとる課題でしたが、そこで私自身が、今までの人生で、いかに希薄な人間関係しか築けていないか分かりました。

今迄、人との繋がりを大切にしてきた人って、絶対人に信頼されてるんですよね。

私はというと…思いっきり「人に信頼されていない」人間でした。
実際にこの課題に取り組んでいた時には「この人なら分かってくれる」と思っていた人から、「お前、おかしいんと違うか」と言われ、非常にショックを受けました。
「今迄の私はこんな人間関係しか作ってなかったんやなぁ…」と、痛感しました。
この時は「ご縁をご円に」とまでは思っていませんが、この時からおぼろげに縁や出逢いを大切にしたいなぁと思うようになりました。

そんな会社でも研修でも苦しんでいる時に、石原金属の副社長の石原篤さんという方と出逢いました。
それで名刺交換をした訳ですが、次の日にハガキが届いたんですよね。

---------------------
「出逢いに感謝」
拝啓、「勝つ」というのは「与える」ということ!
全て貴方が源なのです。
二度とない人生を、一度しかない人生を、
本気で勝ってくださいね!
---------------------

という内容でした。
まずハガキが来たことにもびっくりしましたし、
「今迄与えてこなかったんやなぁ」と痛感した瞬間でもありました。
「これから与える人生を歩んでいかないといけない」と心から思い始めましたね。
この石原副社長の言葉は僕の人生の心の支えになっています。

このような体験を通じて、「現状に弱音を吐いて、仕事や研修、人間関係から逃げているだけじゃいかん」と思い始めます。
 
ターニングポイント3 行動していこう!
2004年の秋になり、私は社内改革を始めます。
社内改革といっても、月2回の朝礼と、3ヵ月に一度の懇親会です。

今になって思えば、全く大したことではないんです。
でも、当時は社長である父に「朝礼をしたい」と相談することさえも自分の中ではかなり恐れていて、それを言った時はかなりの大革命でした(笑)

しかし、私の行動が目障りになってきたのでしょう。
2005年3月、営業部長が退職願を提出してきました。
既に3〜4カ月ほど前から別法人を立ち上げ、お客さんを引き抜いての独立準備は終わっていました。
お陰でパッケージ松浦の売上は半分になりました。
 
ターニングポイント4 大ピンチ!社長就任へ
売上半減!・・・会社としては大ピンチです。
そんなとき父親から、「こんな大混乱の時やから、お前社長やってみるか?」と言われました。
それまで、配達もできない、営業もできない、内勤もできない、存在価値なし!と思っていたので「認められた!?」と思ってとても嬉しかったです。
そして二つ返事で「はい!やります!」と言いました。
まさか二つ返事をされると思ってなかったらしくてびっくりしていました(笑)

社長になってからの最初の仕事は、朝礼を毎日することでした。
まずは朝礼をすることが大切だって思ったんです。
まぁ、実際は何をしたらいいかわからなかったんで、「とりあえず、毎日朝礼だけでもやらないと」という思いのスタートです。

しかし、最初の頃の朝礼は、お粗末でした。
「昨日は〜なことがあって、今日は〜をしようと思っています。他にはないですか?ないですね。それじゃ終わりましょうか。」というように 私が一人で一方的に喋って1〜2分で終わりというような、なんとも寂しい朝礼でした。

現在では13の徳目という小冊子を使い、毎朝朝礼を行っています。
朝礼の目的もはっきりしています。
「朝一番声と気持ちをそろえ、やる気を高める」そして「情報伝達と共有」です。
朝礼を人材育成の場ととらえ、活性化を図っております。
最近では、当社の朝礼をわざわざ見学に来てくださるお客さんがいたり、また地元テレビ「ひとひと万歳」(http://www.youtube.com/user/0024onioni#p/a/u/0/_iBHkF5l2jg)にも取り上げられるようになりました。
毎日、全員が理念に沿った意見を発表しあい、お互いを高めあっています。


社長に就任してから、もう一つ取り組んだ仕事は経営計画書作成です。
経営研究会で「経営計画を作らないか?」という話を頂いたんです。
当時は理念こそおぼろげにありましたが、方針もない、目標もない、社内でも何を目指したらいいのかわからない状態でしたので、「これはチャンス」と思い、取り組みました。

そして経営計画書を作り始めます。
経営研究会の方々が、何度も私だけの為に集まってくれるんですよね。
「どんな思いで仕事してるの?」
「将来社員さんにはどうしたいの?」
「松浦君のビジョンは?」
などなどと私の念いを引き出してくれました。
何度も何度も、私の為に時間を割いてくれて関わってくれたんですね。
特に、美容室シオンの鳴滝文雄社長、山のせピーエスの早藤重忠社長には本当にお世話になりました。

そして出来上がった経営計画書を、まずは父と母である、会長と専務の前で発表しました。
そのときに先ほどの鳴滝社長と早藤社長が発表に立ち会ってくれました。
第三者がいるということで会長も専務も真剣に話を聞いてくれたんですよね。

実際、最初の経営計画書と言うのは、ただ単に項目を埋めただけの稚拙なものでした。
念いも確立していないし、実行なんて全くできてないです。

しかし6年間、経営研究会で経営計画書作成を続けることによってだんだん念いも固まってきて、やっと「パッケージを通じて徳島を活性化する」という念いや、「心に響くパッケージ業」という事業領域が固まりました。

今のパッケージ松浦があるのも、最初の経営計画書作成があったからです。
経営研究会のみなさんには本当に感謝しております。

そしてだんだんと社内の体制も整っていき、業績も持ち直していきました。
 
ステップアップ4 沢山の支えのお陰で
これまで沢山の方々にお世話になってやって来ることができました。
日創研を紹介してくれた坂社長であったり、手紙をくれた石原副社長、経営研究会の鳴滝社長、早藤社長など、
そして何よりいつも私を信じてくれた両親、本当に沢山の方々に支えられここまで来ることができたんだと思います。

今仕事をする上でエネルギーになっていることは、まずは支えてくれた人達への感謝です。
そして理念、特に使命感である「心に響くパッケージ業」を作りたいという念いが、私を突き動かしています。

「パッケージを通じて徳島を活性化する」ということもそうです。
その為に人と人を繋ぎ合わせていっているとだんだん広がっていって、
念いが実現してきて楽しくなってきます。

徳島を活性化したいという想いは2010年の12月ぐらいから思い始めました。
徳島って赤字企業が一番多い県なんです。それと観光客も一番少ない県なんです。
観光客の半分くらいお盆の阿波踊りの期間に来て、あとは閑散としています。
阿波踊り以外は何もないということですね。

生まれ育ったこの徳島をもっと誇れる徳島にしたい!
だから「パッケージを通じて徳島を活性化する」ということが夢です。

そのアプローチ方法として、パッケージ松浦が、地元の名産のパッケージ(包装資材)をプロデュースし、 販売先の紹介や、戦略をプロデュースしていって「まとめる、組み合わせる」という意味のパッケージ(人と人とのご縁づくり)を プロデュースしていったらもっと徳島が活性化するんじゃないかと思います。
 
この情熱人へのメッセージをお待ちしています!メッセージを送る方は右のボタンからどうぞ! メッセージを送る
 
このページの上へ ホームへ
情熱人一覧
クルー一覧