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町 孝幸 Machi Takayuki
プロフィール 大切にしていること
プレジャーサポート株式会社 代表取締役
http://www.pl-support.jp/
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とにかく成長して欲しいと思います!!
特別な理由はないんですけど、もやもやしている人がほっとけないんですよね(笑)
今うちに来ている学生を毎日見ていて楽しいし、インターンシップ終了後の学生の姿はやっぱり何か感じますね。
あとは小学校の頃に学んだ道徳。
あいさつとか靴をそろえるとか、お年寄りを大切にするとか、社会を変えていくことも大切だけど、当たり前のこともやっていくことも大切だと思いますよ。
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取材記事
 
はじめに ヒューマンファーマー プレジャーサポート
私たちの使命は、“人”をそだて、学校や会社・社会をやる気にさせる“畑”にすることです。
今の世の中は、人、会社、社会のつながりが希薄になり、それぞれの良さを生かすことができないなど、それぞれが抱える問題を解決しづらくなっています。
そこで、私達は人、会社、社会がきちんと交わり合い、やる気と喜びの溢れる本当の“人畑(まち)”を作りたいと思います。
会社へは、「会社への処方箋」と称して会社を診断し、計画の策定やステップアップセミナー、人事制度づくりなど、問題点に対する改善案を提案していきます。主に私自身の過去の経験を生かし、財務的な観点からサポートしていきます。社長に対して数字の話から社内研修の提案や人事研修の提案をしています。
社長の中には感覚的に数字を理解している人も多く、そういった方は社員と話し合っても理解し合えることが難しいので私が仲介に入り、サポートしています。

また、社会に対しては「社会への処方箋」と称して障がい者の方の支援活動も行っています。「Chance Project」といって若者の育成×障害者の支援×企業のCSR、それぞれが挑戦するチャンスをつくる社会貢献プロジェクトです。
学生が学生目線で厳選した、障がい者の方の手造り商品を学生が販売。障がい者の方には収入。そして学生の方にはやりがいを。
新しい障がい者支援の形を創り出します。
 
ステップアップ1 大学時代 関西最大の野球リーグ立ち上げ
小学校、中学校共に勉強していたわけでもなく、小さい頃から好きだった野球をやっていた程度で、どこにでもいる普通の子どもでした。
高校も第一志望を諦め、行くことが可能な高校に進学しました。
高校2年間は難なく過ごし、高校3年夏が終わってから受験勉強を始めました。
その結果、関西大学に見事合格!
高校でも野球部に入っていたんで、大学に入学してからも野球をしようと思ったんですが、体育会の野球部のピッチャーと4番を見たときに「無理だ」と思いましたね…(笑)
それで野球の同好会を友人10人ぐらいで立ち上げる事になりました。毎週決められた時間に決められた練習をするのがあまり好きではなかったんですね。純粋に野球を楽しんでやりたかったんです。
 最初は10人でスタートしたものの2年目で勧誘して15人。3回生で30〜40人4回生になる頃には100人にもなりました。
それに当時、毎回練習試合の相手を探すのが難しかったので、関大の4つの同好会でリーグを立ち上げました。このリーグが今では「Kリーグ」という大きなリーグになって今では自慢の一つですね。
大学時代を振り返ってみるとサークルでの体験しか残ってないです。
 
ステップアップ2 就職活動 安定した生活を求める
その後就職活動を迎えますが、銀行や生命保険の会社を中心に活動をしていました。
理由は、恐らく小さい頃から両親からお金の大切さを教えてもらっていたからだと思います。そして、「お金をまわしていくことで困っている人を助けていくのだ」と考えました。
が、しかし、実際のところはこれも両親の影響で安定した生活を送りたいという感情のほうが強かったのかもしれません。
ですから、当時「絶対に潰れることのない」と言われていた銀行を志望し、当時のなにわ銀行から内定をもらいました。
 
ステップアップ3 自信をへし折られた新卒時代
なにわ銀行の勤務から始まります。
小さな頃から負けず嫌いで他人と自分を比べて「人より勝つ。人より前に出る」ことが中心軸だった自分にとって、同期入社の中で最初に営業マンになることが大きなステータスだと考えていました。
だから「何が何でも一番になる!」と意気込んでおり、自信家でもあった私は、自分が一番だとも思っていました。

しかし、結果は20名近い同期入社の最後から2番目。
当時は鼻を折られた感じでしたね。
銀行を辞めてからそのときの上司に聞いたんですが、すぐに営業の現場に入れるより、幅広い知識と話す力を付けてからの方が今後成長するだろうということで、営業へはしばらく転属させない方向だったらしいです。
確かにやっと営業職に就いたときは嬉しかったですし、結果も残せました。
このときに上司が基本的な知識をたたきこんでくれたおかげで今の仕事へ生かすことができているんだと思います。

 晴れて営業マンになり、先輩からの引き継ぎも終わらせ、一人で営業に行くようになって3・4日たったとき、なんとひったくりくりにあったんです・・・。お客様のデータの入ったカバンを…そのときは首だと思いました。結局なんとかなったんですけどそれから半年は生きた心地がしなかったです。いつ辞めさせられるんだろうって(笑)辞めさせられない為にトップ営業マンにならないといけないと思っていました。
そして、その意識のおかげでトップ営業マンになれたんです。

しかし、ここでひとつの大きな出来事があります。
なんと、当時では潰れないはずの銀行が潰れたんです。なにわ銀行が倒産してなみはや銀行、そこも吸収されて近畿銀行に。結果的に銀行に残ることはできましたが、この時にいつまでも安定志向だったら世間からはおいていかれると感じました。
 
ターニングポイント1 大きなターニングポイント
トップ営業マンになり、お金の融資が確実に人を幸せにすると思っていました。
当時のお客様で店舗拡大を考えているお弁当屋さんがいました。
今なら当たり前に理解できるのですが、拡大しているからと言って成長しているというわけではなく、そのお弁当屋さんも資金繰りに困って出店を繰り返さざるを得なくなっていたのです。
3店舗目を出し、4・5店舗目の融資の話をしている時、自分の中で止めておかなければ破産すると薄々感じていました。
しかし、自分の業績ノルマと「融資が人を幸せにする」という考えにより、融資することを決めました。
結果、そのお弁当屋さんは破産してしまったんです。

その時、「お金を貸す前に何かしてあげられることがあったんじゃないか?」と思いました。その経験の後、赤字が拡大していくようなお客様と話をしているときも、「いったん立ち止まって考えてください」とアドバイスできない、そんな事で本当にお客様の為になっているのか?と言う疑問と、銀行マンとして成績を上げることとの葛藤を感じるようになりました。

そして葛藤の末、退職を決め、客観的に判断できる仕事として、税理士事務所に会計コンサルタントとして転職しました。
 
ステップアップ4 死ぬ気でやった金融コンサルタント
転職先では会計コンサルタントとして、たくさんの会社に対してアドバイスをしていきました。
会計コンサルタントの仕事の一つに、クライアントが銀行からお金を借りるアドバイスと言う事があります。それは言ってみれば、銀行との戦いのようなもので、元銀行マンの私は重宝されていましたね(笑)
その事務所で2年間死ぬ気で働きました。
朝6時に出社して0時に帰るそんな生活でした。それでもやりがいがあり、お客様の為にと全く辛くはなかったんです。
順風満帆な日々を過ごしていましたが、仕事においての会社との価値観の違いを感じだし退職することを決めました。
 
ターニングポイント2 起業、そしてボランティア・社会貢献へ
会社を退職した後は前の会社の上司と数人の部下を率い、“エムズファクトリー”という会計コンサルタント会社を設立しました。財務を切り口として経営判断をする会社で基本的には今までのキャリアの集大成のような仕事でした。

そんなとき、お客様にすすめられてある一冊の本と出会いました。
それはNPO法人アジアチャイルドサポートが発行している本で、その本を読んだ後「世界にはこんなに困っている人がいるんだ」と衝撃を受けました。
本を読み衝撃を受けた勢いで、実際にアジアチャイルドサポートの代表の池間さんに会いに沖縄まで行きました。

これがきっかけで、もともとボランティアは一方的で偽善だと思いていたのですごく嫌だった私ですが、自分もできる範囲でこういう活動をしていきたいと考えるようになりました。ただボランティア活動に専念してしまうと会社的に売り上げが下がってしまうんです。
当時は私が会社の中ではお客様も多く、中枢を担っていましたから。そうなってくると今度は社員全員に迷惑がかかってしまう。
そしてこれ以上迷惑をかけるのも駄目だと思い、33歳で今のプレジャーサポートの前身カルマを立ち上げたんです。

実際に立ち上げたものの、自分が本当に何をしたいのか悩みに悩んでいました。
そして、その答えを出すために、断食を6回したんです。水だけで1週間生活します。
自分は何をしたいんだとかひたすら向き合い、そのときに「人を喜ばせる事がしたいんだ。心のもやもやを取ってあげたい!」そんな自分の素直な答えに気付く事ができたんです。
 
ターニングポイント3 プレジャーサポート設立へ
考えた末に出た答え、それは「喜びのお手伝いをしたい」ということ。そんな思いから社名をプレジャーサポートに変更しました。今まで出会ったお客様やいろんな人の笑顔が私にとってとても大切なものだと気づくことができました。それと同時に、そこに生きがいを感じているのだということも感じ、仕事と人生を分けて考えるのは不可能だと思いました。

プレジャーサポートとして活動し始めてある時、障がいを持っている子どものお母さんにお会いしました。
そのお母さんから衝撃の言葉を耳にします。

「かわいい息子が、自分が死んでしまった後にどうなるのか心配で仕方がない。出来れば一日だけで良いから自分より早く死んで欲しい。心配だから見届けたい。」

そう話されているのを聞いて、「世界一かわいい我が子にそう思わざるを得ない今の世の中は間違ってる!何かしないと。」そう思いました。
 
そして今 ソーシャル・スィーツ・プロジェクト
2008年の夏に障がい者の方が施設で作ったお菓子を販売するプロジェクトを本格的に始動しました。
これは、「障がい者の方へ社会参加のためのチャンスを作る」ということと、「学生に成功体験、社会参加するチャンスを作る」という2つの大きな目的があります。
「社会貢献って何をしたら良いんだろう?」とか、自分の成長の為もやもやしている学生は多いと聞いています。
学生さん×障がい者の方
その両者を繋げることにより社会は少しづつでもいい様に変わっていくと思いました。

現在、そのプロジェクトは“ソーシャルズ”という名前で活動を続けています。
少しでも社会が良くなるようこれからも諦めず活動を続けて行きたいと思っています!!
 
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