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宮平 崇 Miyahira Takashi
プロフィール 大切にしていること
(株)Dreams   代表取締役
http://www.popcornpapa.jp/

(株)やりまっせ 代表取締役
http://www.bushido.gr.jp/
毎日笑う事
Message
何事にもチャレンジしてもらいたいと思っています。
チャレンジする前に諦めてしまう様では自分の望んでいる姿には一生近づけないでしょう。
そして、やり続ける事も大切です。
自分の主張が違ったりしてしまうと全く自分の血肉となっていません。
それは勿体ない事です。
自分がやると決めた事は全力で、そして決して諦めずやりきって欲しいと思います。
それが自分の人生を楽しく生きる秘訣ですかね!
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取材記事
 
はじめに “ありがとう”と“笑顔”をお届けする会社
私は株式会社Dreamsと株式会社やりまっせという会社を経営しています!
Dreamsは32種類の味があるポップコーン専門店「ポップコーンパパ」、やりまっせは男気溢れるラーメン屋「麺屋武士道」を展開しています。

どちらの会社もお客様の笑顔、そしてスタッフの笑顔を何よりも大切に頑張っています!
そして、“ありがとう”という言葉も一つ大切な物として認識しています。
だからこそ、お客様、スタッフ、業者さんに対して”ありがとう”を伝えられるような取り組みも行っています!

会社を興した経緯については後々お話をしますが、どちらもまだまだこれからの企業です!
様々なコトに挑戦していき、たくさんのお客様に認めて頂けるように走り続けます!
 
ステップアップ1 好きということに素直だった子ども時代
子どもの頃の私の家は貧乏でした。
家はぼろぼろの文化アパートで、電話もなかったんです。
両親は離婚しており、父親は物心ついた頃にはもういませんでした。しかし、母親からは「鼻をかんで死んだ」と伝えられていました(笑)そんなユニークな母のもとで育てられた私は貧乏でも楽しみながら過ごしていました。
私は母親が大好きだったんです。
しかし、小学校の時に火事があって家がなくなりました。2ヶ月程母親の姉、叔母のところに預けられましたが、とても寂しかったことを覚えています。

私が子どもの頃に描いた夢は「スパイダーマンになりたい」という夢でした。理由は単純で、ただ単に好きだったからです。
「好き」いうことに素直だった子どもの頃でしたね。
中学校に入った頃から新聞配達のアルバイトを始めました。始めた理由はただ単にお金が欲しかったから。この頃はお金持ちになりたかったんです。
お金を稼いで何をしたかったという訳ではありませんが、自分で自由に使えるお金が欲しかったんですね。 高校へ行くと「人と違うことをしたら面白い」というコトを考えていました。
アルバイトばかりしていて、お年玉も小遣いも貰わずに自分で稼いでいましたね。当時アルバイトしていた居酒屋は楽しくて楽しくてしかたがありませんでした。毎日毎日アルバイトをしていました。夜アルバイトをしているので学校では基本的に寝ていましたね(笑)
お金が欲しかったということもありますが、このときは本当に楽しかったからというのが大きかったです!いろんな人と出会えて、いろんな話をして、世界中で一番幸せな日々を送っていると思っていました(笑)
この時に「何事も楽しい方がいい」ということを心で理解しました。


 
ステップアップ2 楽しいだけじゃない!と思った大学生活
高校3年生の後半には大学への進学を決意しますが、現役では落ちてしまい、浪人をし、関西学院大学へ入学しました。
大学でもアルバイトの日々、楽しいことや興味あることを中心にアルバイトを探していました。
大学進学した目的なんてほとんどなく、ただ関西学院大学というブランドで自分を大きく見せようとしていたのです。

今思い返せば、この頃、本当の自信というものがなかったような気がします。
いろんな選択肢があっていろんな将来を選べるからこそ、捨てることを恐れてしまい今のうちにいろんなことをしておこうと思い、いろいろなアルバイトに手を出すものの、逆に全てが中途半端になってしまって本当に中身のある人間ではなかったのかもしれません。
もちろん大学生活は楽しかったです。
しかし、楽しかっただけで夢と呼べるものはありませんでした。「楽して暮らせればいい」ということを考えてしまっていました。


 
ターニングポイント1 就職活動で出会った社長
就職活動を始めたものの内定を貰えないままでした。
そしてエスケイジャパンという会社と出会います。エスケイジャパンはおもちゃを扱っている会社で、UFOキャチャーの景品を扱っていました。
実際、面接に申し込んだときには定員に達していて採用を締切っていましたが、私はなんとしても面接をしてもらいたくて作文を送って面接にこぎつけました。

面接当日、会社に行くと掃除のおじさんがビルのゴミ掃除をしていました。
「掃除のおじさんを雇う金もあるんやなぁ?」と思って会社に入りました。面接の部屋で待っていると掃除をしていたおじさんが目の前の椅子に座りました。なんと掃除のおじさんが社長だったんですねー(笑)
面接をしてもらい、その時お盆が近かったので「ほな、お盆明けまでに作文を書いて来て?」と言われました。しかし、「そんなんじゃあかん!」と思い、お盆前に作文を提出しようと思いました。
そして10枚の作文を書き終え提出したんです!!
その後は、その会社でインターンをすることになり、「商品を売ってこい!」と言われました。
今考えれば採用させないように無理難題を言われていたのかもしれませんね(笑)

営業なんてやった事はありませんでしたが、必死に二週間頑張った結果、注文をとることができました。
すると、社長も認めて下さったのか、学生のうちから営業として働き始めました。
その期間、「社長から、何かで一番になれ」と言われ、一番になることを考えた結果、毎日誰よりも早く出社し、誰よりも遅く退社すること、そして誰よりも元気に挨拶することで一番になろうと決めました。

仕事が終わると毎日社長に飲みに誘われて話を毎日聞きました。社長のことを尊敬しきっていて、「こんな人になりたい」と思うようになりました。当時あまり大学に行っていなかったので案の定、大学を留年しましたが…(笑)

なんとか卒業まで待ってもらいエスケイジャパンに入社します。
エスケイジャパンに入社したのは10月でしたが、入社して半年でいきなり子会社の東京支店長にしてもらいました。それ迄誰よりも早く出社し、誰よりも遅く退社していたことを社長が認めてくれたのだと思います!


 
ターニングポイント2 外国へ、そして世界旅行
エスケイジャパンでの面接の時「3年で辞めます!」と言っていたんです。
当時、「起業したい」ということと「世界旅行へ行きたい」という夢がありました。

そしてエスケイジャパンへ入社してから3年が経ち退社しました。
「起業してしまうと旅行に行けない」と思ったので「先に旅行に行ってから、そのあと起業しよう!!」と思いました。
そして、「世界旅行には先ず英語をしゃべれないといけない」と思い、まずは英語圏内のアメリカへ行きました!

アメリカではいろいろな経験をしました。一番印象に残っていることはレストランでのアルバイトですね。

ウェイターとして働いていて、最終的にヘッドウェイターになるのですが、ある時忙しくて、お客様のカードで違う人の支払いをしてしまいました。
その時「今夜の食事は悪夢だった」と言われてしまったんです。その時は本当にショックでした。
たどたどしい英語でしゃべれない分いろんな人に助けてもらったり、いろんな人に応援してもらっていたのに、小さなミスでお客様へ迷惑をかけてしまったんだと思うと、応援してくれている全ての人に申し訳なく思ってしまいました。
そしてそんな思いは二度としたくないと思い一つ一つのことをきっちりとやっていきました。

次第に英語もしゃべれるようになり、お金もある程度たまってきたのでアメリカから日本に帰ろうと思いました。日本に帰る前に自分へのご褒美として夢であった世界旅行をしようと思い、アメリカから世界を一周して日本へ帰ります。


 
ステップアップ3 何もない自分、そして…
日本に帰ってからは、ラーメン屋や和食、おにぎり屋など、ロサンゼルスへ進出して、商売をするためにいろんな事を考え、アルバイトをしました。

しかし、体験はしてみるものの「自分のやりたいことはこれじゃない!」と感じてしまい、すぐに辞めてしまうのです。
その時、

「自分はなんでも出来ると思っていたけど、何にもないんだ」

と思いました。
いろんなやりたいことがあって、浅く広く関わって来た為「これ!」というものがなかったんです。

そんな路頭に迷っている時に、エスケイジャパンの社長から事業の紹介を受けました。
それは、店先にUFOキャッチャーの機械をおいてもらう事業でした。
営業力には自信があったので「これでなんとかやっていける!」と思い会社を立ち上げます。

今思えば当時の自分は「代表取締役社長」という肩書きが欲しかっただけなのかもしれません。
大学に入ったときと同じように自分に自信がなく何か自分を大きく見せる為の衣が欲しかっただけなんだと思います。
 
ターニングポイント3 ポップコーンパパとの出会い
エスケイジャパンの社長から紹介してもらった事業を実際に始めるものの、全く軌道に乗りません。
休みなく毎日営業をしたり、機械のメンテナンスをしたり、必死になって事業を成功させようとしました。

そんな得意先の一つに“ポップコーンパパ”という二店舗展開しているポップコーン専門店がありました。
店舗のスタッフの方との交流もあり、当時ポップコーンパパの運営責任者だったSさんという方とも懇意にして頂きました。
そんなあるとき、「ポップコーンパパ」の事業を引き継がないかという話を頂きました。
その話を他の経営者仲間にしてみると、「騙されてるんちゃうか?」と言われるぐらいいい話であったのですが、当時は必死すぎて何もわかりませんでした(笑)

何故その話を貰えたかというと必死にお客様に対して向き合っていたから誠意が伝わり、信用してもらえたんだと思います。
私もSさんを信用していたので「やろう!」と思ってポップコーンパパを買い取り、みんなが夢を持って働けるようにという想いを込めて株式会社Dreamsを立ち上げたんです!

ポップコーンパパを引き継ぐ事が決まると、研修としてお店で働きました。
そして当時店長をしていた娘がポップコーンの作り方を教えてくれたんです。
そのとき、

「ポップコーンはデリケートなお菓子だから愛情を持って優しく優しく扱ってくださいね。」

と言われた一言がポップコーンに対する認識を変えました。
それまでは自分の中で、「たかがポップコーン」と思っていました。
あの時、この言葉を聞いたからこそこそポップコーンパパをやろうと思ったし、やり続けようと思ったんだと思います。
 
ステップアップ4 新たな事業展開!しかし…
ポップコーンパパを買い取った時は全く気付いてさえいなかったのですが、実は軌道に乗っている店だったんです(笑)
自分は0から1をつくることは苦手なのですが、1を2、3に発展させる力はあると思います。
ポップコーンパパで自分の能力が発揮されていると感じ本当に楽しい毎日でした。

そして、ポップコーンパパの業績もよく、今度は「お客様と接する時間が多い居酒屋をしたい」と思うようになり、株式会社やりまっせという会社を立ち上げます。
やりまっせでは「もつなべ宿夢蔵」というもつ鍋屋と、「押ッ忍!夢蔵」という串焼きと串揚げの居酒屋を展開していました。
しかし、業績もあまりよくなく、考えに考え抜いた結果、その両店舗とも閉店させてしまいます。そのとき思ったことは、経営者という立場のことでした。
安易にやりたいことをやろうとしてしまって、売り上げの見込みなど深く考えずに行動に移してしまった結果、働くスタッフやお店を好きでいてくれた方々、取引先、仕入れ先の方々に迷惑をかけてしまい、本当に申し訳なく思ってとても苦しかったのを覚えています。
 
そして今 現在、そして未来へ!
今やりまっせは、夢蔵を改装して「麺屋武士道」というラーメン屋を経営しています。
男のラーメン、そして元気を売りに日々お客様へ喜んでいただけるように頑張っています。
常連のお客様も増えていっており、業績もしっかりして来ました!もう応援してくれている人の期待を裏切らないようにしっかりと頑張っていきたいと思います。

ポップコーンパパも店での販売だけではなく、通信販売や百貨店への催事出店など、いろいろなことへ挑戦しています!たくさんのお客様へポップコーンや人との繋がりを通じて笑顔になって頂きたいと思っています。

お客様、スタッフ、取引先、そしてDreams、やりまっせへ関わる全ての人が幸せになってもらえるようにいろんなことにチャレンジしていって、会社個人共に走り続けて行きます。
一生チャレンジしていきたいですね!
 
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